【読書亡羊】異能の研究者が解説する「ロシアのハイブリッド戦」の実相 小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』

【読書亡羊】異能の研究者が解説する「ロシアのハイブリッド戦」の実相 小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!


慌てず、備えよ

まず第一章で、ウクライナ危機が起きるまでの背景説明と、実際に起きたこと、それをロシアがどう認識しているか、を解説。この章を読んだ時点で、「あれ?」と思う読者もいるに違いない。

確かにロシアはウクライナ介入時、住民や軍人を煽動する情報を流し、電磁波攻撃を行い、インフラを麻痺させて自らに都合のいい状況を作り出し、クリミアではほぼ無血開城となった。だが、同じ「ウクライナ介入」でも、ドンバスではゴリゴリの軍事力が威力を発揮していた、という解説があるからだ。

つまり、「新しい手法」ばかりに目を奪われがちだが、ロシアが自らの軍事的・政治的目標を達成するためには、やはり古典的な(=ゴリゴリの)軍事力が必要だったのである。

あくまでもロシアは軍事力と非軍事力を相互補完させる「ハイブリッドな戦争」を行ったのであり、依然として軍事力も必要不可欠であることに間違いはない、というのだ。

もちろん、「ロシアのハイブリッド戦を警戒せよ」とのアラートに間違いはない。ロシアは確かに目標地域の住民や敵軍に所属する軍人の携帯電話にフェイクメールを送り付けるなど、先端テクノロジーを使ってはいる。

が、こうした「軍事的手段と非軍事的手段を織り交ぜ、その時点での最新のテクノロジーを使って自国に有利な状況を作り出す」という手法は、何もクリミアが最初の例というわけではなく、歴史的に何度も行われてきたことでもあるのだ。

ロシアもソ連時代からこの種の偽装情報工作に力を入れており、これについてはチェコ共和国のサイバーセキュリティ庁職員であるダニエル・P・バゲ『マスキロフカ』(五月書房新社)に詳しい。

となれば、やはりバズワード的に「何をおいてもハイブリッド戦に備えなければ、一方的にやられ放題だ!」と慌てる前に、何が新しくて古いのか、日本はこうした攻撃にどう対処すべきかなど、きちんと腑分けしておかなければなるまい。 

筆者の小泉氏は普段、ツイッターでかなりソフトな(?)話題をつぶやいてフォロワーに親しまれているが、一方で「ロシア研究の俊英」と言われる見識の深さが、本書からビシビシ伝わってくる。

マスキロフカ 進化するロシアの情報戦! サイバー偽装工作の具体的方法について

中国と通じるロシアの「被害者意識」

さらに第二章では、なぜロシアがこうした「非軍事的手段」に着目したのかという「思想」の部分に踏み込んでいく。ここで、ロシアが中国と共通する「被害者意識」を持っていることがわかる。

被害者意識とは何かといえば、「ロシア的な価値や道徳が、常に西側諸国から攻撃を受けている状態にある」というものだ。

世界各地で起きる民主化推進運動は「西側」の差し金によるものである。またロシア国内で起きる政府批判も、「西側」による「ロシア的価値観の揺さぶり、体制への信頼の棄損」によるものである。だからロシアはこれに対抗しなければならない。

ロシアは日々、「西側」との「永続戦争」を戦っている――これがロシアの考え方なのだ。

しかも軍事技術面でも「西側」、特にアメリカに大きく水をあけられており、そのギャップを何とかして埋めなければならない。そのため、非軍事的手段を使い、さらには「抑止的行動」として、アメリカの大統領選に介入し、SNSでフェイクニュースを流すのだという。つまり、攻撃ではなく「ロシアに対する攻撃を抑止するための行動」という認識なのだ。

確かに「西側」にすっかり安住している日本人にとっては、このあたりのロシアの「被害者意識」は実感しづらい。また、この感覚が分からないと、対露交渉などでも大きな考え違いを起こすことになりかねない。

関連する投稿


【読書亡羊】闇に紛れるその姿を見たことがあるか  増田隆一『ハクビシンの不思議』(東京大学出版会)

【読書亡羊】闇に紛れるその姿を見たことがあるか 増田隆一『ハクビシンの不思議』(東京大学出版会)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】「時代の割を食った世代」の実像とは  近藤絢子『就職氷河期世代』(中公新書)

【読書亡羊】「時代の割を食った世代」の実像とは  近藤絢子『就職氷河期世代』(中公新書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】「情報軽視」という日本の宿痾をどう乗り越えるのか 松本修『あるスパイの告白――情報戦士かく戦えり』(東洋出版)

【読書亡羊】「情報軽視」という日本の宿痾をどう乗り越えるのか 松本修『あるスパイの告白――情報戦士かく戦えり』(東洋出版)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】自民党総裁選候補者、全員の著作を読んでみた!

【読書亡羊】自民党総裁選候補者、全員の著作を読んでみた!

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】データが浮かび上がらせる「元自衛隊員」の姿とは  ミリタリー・カルチャー研究会『元自衛隊員は自衛隊をどうみているか』(青弓社)

【読書亡羊】データが浮かび上がらせる「元自衛隊員」の姿とは ミリタリー・カルチャー研究会『元自衛隊員は自衛隊をどうみているか』(青弓社)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


最新の投稿


【今週のサンモニ】兵庫県知事選はメディア環境の大きな転換点か|藤原かずえ

【今週のサンモニ】兵庫県知事選はメディア環境の大きな転換点か|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。


なべやかん遺産|「ゴジラフェス」

なべやかん遺産|「ゴジラフェス」

芸人にして、日本屈指のコレクターでもある、なべやかん。 そのマニアックなコレクションを紹介する月刊『Hanada』の好評連載「なべやかん遺産」がますますパワーアップして「Hanadaプラス」にお引越し! 今回は「ゴジラフェス」!


【読書亡羊】闇に紛れるその姿を見たことがあるか  増田隆一『ハクビシンの不思議』(東京大学出版会)

【読書亡羊】闇に紛れるその姿を見たことがあるか 増田隆一『ハクビシンの不思議』(東京大学出版会)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


「103万円の壁」、自民党は国民民主党を上回る内容を提示すべき|和田政宗

「103万円の壁」、自民党は国民民主党を上回る内容を提示すべき|和田政宗

衆院選で与党が過半数を割り込んだことによって、常任委員長ポストは、衆院選前の「与党15、野党2」から「与党10、野党7」と大きく変化した――。このような厳しい状況のなか、自民党はいま何をすべきなのか。(写真提供/産経新聞社)


【今週のサンモニ】オールドメディアの象徴的存在|藤原かずえ

【今週のサンモニ】オールドメディアの象徴的存在|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。