改めて、東京五輪を招致した理念を思い起こしてほしい。
2020年の東京オリンピック招致活動の前、2009年に「2016年オリンピック」の招致活動をした際、「世界一、環境に配慮した大会」の実現を目指した。
都の条例でディーゼル車規制を実施するなど、地球温暖化を意識した政策を打ち出していた石原慎太郎都政は、気候変動を前面に押し出した。ゴミと建設残土で埋め立てられた中央防波堤の埋め立て地に森をつくり、オリンピック会場にしようと考えたのもその一環だ。
実際、海の森公園が整備され、明治神宮に匹敵する約百ヘクタールの森が生まれている。沖合の風が海の森公園を抜け、高層ビルが林立する都心に吹くことで、ヒートアイランド現象の緩和を図った。まさに東京五輪が環境に配慮した大会であることを象徴する会場であり、いまで言うカーボンニュートラルの世界を世界に先駆けてアピールしたのが石原都政だった。
同年12月に、コペンハーゲンでCOP15(第十五回気候変動枠組条約締約国会議)が開かれることになっていたから、時流にも乗っていた。ところが、IOC委員からは「環境問題は国連で言ってくれ」という反応が返ってきた。
オリンピックはスポーツの祭典だ。スポーツ人口が増えたり、スポーツ施設が充実したり、アスリートが活動しやすい環境を整備したりしてスポーツの裾野が広がり、中身が深まるプレゼンテーションが求められている。あくまで「アスリートファースト」でなければならないのだ。
しかも前年にはリーマンショックが起き、日本国内のオリンピック開催への支持率も高まらなかった。 結果、2009年の招致活動はリオデジャネイロに敗れ、次は2020年を目指そうと動き始めた矢先に、東日本大震災が起きた。
リーマンショックによる経済的な落ち込みと東日本大震災のショックが重なり、日本全体に閉塞感が漂っていた。そこで、2020年という希望をつくり、日本を元気づけるということが東京五輪の大きな目標だったのだ。
「夢の力」に込めた想い
2013年九月、都知事だった僕は五輪招致を勝ち取らねばと、とにかく必死だった。 まず前回の反省に立ち、2020年招致の際は、都知事である僕自身がスポーツマンであることをアピールした。たいしたスポーツマンではないが、毎月必ず50キロ以上走り、65歳で東京マラソンに初挑戦して完走した。空手の黒帯も持っている。「日曜テニスプレーヤー」でもある。東京のリーダーは一所懸命スポーツにチャレンジしているスポーツマンだと知ってもらえれば東京への共感につながるに違いない、と考えたのだ。
何よりも招致を勝ち取れば、北京やロンドンのように海外からの観光客が増えていき、経済効果が30兆円に達するとの試算もあった。日本のインバウンドが増えたのは、観光庁を作ったからではなく五輪招致に成功したからなのだ。
リーマンショックと東日本大震災による閉塞感、経済の落ち込みのなか、2020年という一つの大きな希望を作ることができれば、という思いだった。その時に掲げたのが、「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ」というスローガンだった。
「夢の力」という言葉には、少子高齢化の日本で都民や国民がスポーツを楽しむことで健康寿命を延ばし、将来の医療費抑制につなげるという狙いがあった。
2017年度の国民医療費は43兆円、介護費は12兆円にものぼる。医療・介護費だけで日本のGDP550兆円の1割を占めており、雇用者数も600万人と、経済規模だけで言えば、自動車産業と同等。つまり、日本の「二大産業」の一つなのだ。われわれ団塊世代が後期高齢者になる2025年には、医療・介護費は48兆円、15兆円にまで膨らむとも試算されている。
加えて厚労省の調査によると、2016年に女性の平均寿命は87・1歳。ところが、健康寿命は74・7歳。引き算すると12・4歳。つまり、「健康上問題があり、日常生活に制限のある状態」が、晩年に10年以上も続く。日本は世界でトップクラスの高齢国だが、健康寿命との乖離も著しい。
そこで、もっと日本人が運動すればこのギャップが埋まる。実現すれば医療費や介護費の抑制も期待できるようになる。オリンピックとパラリンピックが東京で開催されれば、多くの人がスポーツの素晴らしさを再認識する。そうした前向きな理念を訴え続けた結果が、先述したように支持率90%につながったのだ。