コロナ禍だからこそ
また、2012年ロンドン五輪で、やはり先進国の都市でやる意義があると思ったのは、パラリンピックが満席になっていたことも大きい。
五輪招致は、アジア初(1964年東京)とか、その国で初(北京、ソウル)とか、南米初(リオデジャネイロ)とか、「初」の場合に意義があるとされていたが、ヨーロッパはパリでもロンドンでも複数回で、東京も二度目、なぜ二度目なのかという問いに対して先進国らしさを示せるかどうか、ロンドンのパラリンピックはそれを示していた。東京も先進国らしさを示せると思ったのだ。
ところが、僕が2013年12月に都知事を辞職したあと、新国立競技場やエンブレム問題などガバナンスの問題が次々に起き、「なぜオリンピックを開催するのか」といった理念がほとんど語られなくなってしまった。まことに残念でならない。
菅義偉首相らは、いまこそ東京五輪をなぜ開催するのかを強く訴えるべきだ。「コロナに勝つためにやる」「こうした理念がある」と、国民に向かって堂々と宣言すべきではないか。
何よりもコロナ禍のいまだからこそ、人間の限界に挑戦する選手の活躍から勇気をもらうことが「夢の力」につながる。
東京五輪は間違いなく開催すべきだ。安易な反対論や一時の感情論に惑わされて、日本国の将来を誤ってはならない。(初出:月刊『Hanada』2021年8月号)