1962年、東京都生まれ。86年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、文藝春秋入社。93年、コロンビア大学ジャーナリズムスクール国際報道上級課程修了。2019年3月、文藝春秋退社。2018年4月より慶應SFCで特別招聘教授として調査型の講座「2050年のメディア」を立ち上げる。上智大学新聞学科非常勤講師も兼ねる。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA)、『2050年のメディア』(文藝春秋)がある。
アルツハイマーが治るかも
――(聞き手・花田紀凱)読売新聞、日本経済新聞、ヤフーの三社の戦いを描いた前作『2050年のメディア』もすばらしかったけど、本書『アルツハイマー征服』は感動した! 3度泣いたよ。
アルツハイマー病解明、100年の歴史なんだけど、研究者の世界がともかく凄まじい。僕は病気や脳については下山クンが書いていることを十全に理解できたわけではないだろうけど(笑)、ある研究者は捏造事件を起こし追放され、またある研究者は志なかばで文字どおり憤死する。それでも一歩ずつ進歩がある。いくつもの人間ドラマがある。
これだけ時間をかけ、海外の研究者たちにも直接取材し、こんなレベルの高いサイエンス・ノンフィクションはこれまで日本になかった。
下山 ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。
――アルツハイマー病をテーマにしたノンフィクションを書こうと思ったきっかけは?
下山 そもそものきっかけは2002年の夏、認知症学会で米国から来日したデール・シェンクという科学者とパークハイアット・ホテルで朝食を食べる機会があって、話を聞いた時です。
アルツハイマー病は、神経細胞の外に老人斑と呼ばれるシミができて、次に神経細胞内に神経原線維変化という糸くずのような固まりができる。そして神経細胞が死んで、認知症と呼ばれる症状が出てきます。
これらがドミノ倒しのように起きるのですが、デール・シェンクは最初のドミノを抜くことを考える。
老人斑はアミロイドβと呼ばれるタンパク質が固まってできたもの。であれば、アミロイドβ自体をワクチンとして注射すれば、抗体を生じて老人斑を分解するのでは、と考えたわけです。これは画期的なアイデアでした。
実際、アルツハイマー病の症状を呈するトランス・ジェニックマウス(遺伝子改変マウス)を使って実験をしてみたら、老人斑はマウスの脳からきれいさっぱりと消えた。
人類が初めて、アルツハイマー病の進行を逆にした瞬間でした。アルツハイマー病は非常に近い将来治る病気になるという熱気が、当時、研究の現場にはありました。これはノンフィクションになる、と奮い立ったわけです。
――次に、遺伝性のアルツハイマー病との出会いがあった。
下山 アルツハイマー病全体の1パーセントに満たない数ですが、遺伝性のものがあります。その家系に生まれると、50パーセントの確率で若年で発症します。その遺伝子のどこかに突然変異があるのではないか、それがわかればアルツハイマー病の謎が解けるのではないか……。
90年代にそれを特定するレースがありました。日本では、弘前大学の医学部と国立武蔵医療センターが共同で、14番染色体の800万塩基までしぼりこみます。そのときに協力をしたのが、青森の家系の人々でした。彼ら、彼女らの献身によって、アルツハイマー病の解明は進むんです。
デール・シェンクとの出会いから始まった。