それに対して香港市民が史上最大規模の抗議運動を展開し、10月には香港政府は「改正案」の撤回を余儀なくされた。このことに習政権は大きな挫折感を味わい、と同時に香港における「反対勢力」の一掃を決心した。
そこから出てきたのが、前述の「香港国家安全維持法」の制定と施行だ。習政権からすれば、この「法律」さえ作っておけば、気に食わない連中を香港から「拉致」・「移送」する必要はもはやない。中国共産党政権の直接指揮下の公安警察・秘密警察が香港のなかに入り込み、反対勢力を一掃し、根絶やしにすることができるからだ。だからこそ、習政権はこの「法律」の成立を強行した。これで習近平は雪辱を果たし、独裁者としてのメンツを保ったのだ。
しかし前述のように、長期的にみればむしろ中国の失うものは非常に多く、大損したのは中国のほうだ。独裁者の習近平には、長期的な視点に立って自国の国益を考える余裕もなければその能力もない。そんなことよりも自分の体面を保つことのほうが大事なのだ。こうした思考回路の指導者はたしかに愚かと言うほかないが、その一方、拉致事件から「国家安全維持法」制定までのプロセスにおいて露呈した習近平政治の短視と横暴と猪突猛進の狂気は、他人事ではない。
14億人の政治・軍事大国は、この気まぐれな独裁者の意のままに動き出していくと、周辺世界にどれほど大きな被害を与えるか知れない。習近平はやはり、世界一の要注意人物である。
著者略歴
評論家。1962年、四川省生まれ。北京大学哲学部を卒業後、四川大学哲学部講師を経て、88年に来日。95年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。2002年『なぜ中国人は日本人を憎むのか』(PHP研究所)刊行以来、日中・中国問題を中心とした評論活動に入る。07年に日本国籍を取得。08年拓殖大学客員教授に就任。14年『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)で第23回山本七平賞を受賞。著書に『韓民族こそ歴史の加害者である』(飛鳥新社)など多数。