翁長雄志の変節への道
こうした翁長氏の変節の真意は分からない。もともと、翁長は確たるイデオロギーをもった政治家ではなく、沖縄県民としてごく当たり前に強い郷土意識を持ち、一方、同じ日本人でありながら同等に扱われていないという無念さを強烈にもった人だった。
日米安保体制の必要は認めるし、基地はないほうが良いが、現実の難しさも分かっている。しかし、沖縄の負担は大きすぎるので減らしてほしいし、辺野古移設はいまや政治的にもマイナスが大きすぎるので止めるべきだ、といったところだった。
また、根っからの職業政治家として、自分の地位について非常な執着があった。もし、2014年に翁長が自民党から候補者になろうと思い、辺野古にも柔軟な余地を残したら可能だっただろうが、野党に乗ったほうが有利という打算があったように見える。
また、就任後の行動にしても、袋小路に入った問題解決のために具体的な提案はあるのかと言われても、それは政府の側の問題だといい、菅官房長官や安倍首相との会談でも、ひどく県民向けの糾弾パフォーマンスにこだわり、菅長官を沖縄ではヒトラー並の悪評で語り継がれるキャラウェーという米軍統治時代の高等弁務官に譬える失礼な比喩もした。そのあたり、厳しいことを言いつつも、橋本龍太郎首相などと密かに頻繁に会って腹を割った話し合いをした大田知事などと比べて人間の器が小さかった印象がある。
「小泉内閣や安倍内閣は情がない」ともいっていた。つまり、旧竹下派系の政治家は、沖縄の人に申し訳ないともっともらしい言葉を並べ、野中広務官房長官が土下座までして、そのうえで飴を与えて納得させるスタイルだったことを懐かしんだ。小泉・安倍といった清和会系の政治家が、沖縄の人たちに良かれと思うことを、実質的にできる限りするが、情と利権からなる古い政治の猿芝居は否定する傾向があるのと肌が合わなかったようだ。
翁長知事は2018年5月に膵臓癌のステージ2であることを公表し、治療を続けながら公務を継続したが、8月8日に67歳で亡くなった。この現職のままでの病死を「殉死」などと美談としてもてはやすマスコミ報道が多かったが、そんなものは偽リベラル系マスコミの政治的な意図での誘導に過ぎない
国や地方自治体であれ民間会社であれ、急病でなく癌のように徐々に進行する病気の場合、病死するまでトップの座にいることは美談ではありえない。
病人はどうしても判断力が鈍るし、体力気力も衰えているから間違った判断をしがちで、その典型は第二次世界大戦のときのルーズヴェルト大統領であって、ヤルタでスターリンに翻弄され、そのために日本も世界もまことに不幸なことになった。
翁長氏が政府との間でみせた硬直的な姿勢は、やはり就任以来、ずっと続いた体調の悪さと無関係ではなかったように思う。そのあたりは県民もある程度は感じ、翁長氏が再選に立候補しても厳しいという見方もあった。
ただ、そうはいっても、琉球新報と沖縄タイムスの2大紙と、その系列のテレビなどは弔い合戦ムードを盛り上げ、それが醒めるまえに投票日が来てしまった。だから、私はあと1カ月、時間があったら結果はどうなったか分からないし、現職知事有利が他県に比べて顕著でない沖縄で、玉城氏の県政がそれほど長期政権になるとは限らない。
玉城デニー氏の出自
第ニの玉城陣営の勝因は、佐喜眞氏に対する「後出しじゃんけん」の有利さを活かしたことだ。出口調査によれば、無党派層の70パーセント以上が、また女性の60パーセントほどが玉城候補に投票したとされている。
また、年齢別で見ると、調査によって違いがあるが、だいたい40歳以下では互角ないし、やや佐喜眞リードであり、40歳以上では圧倒的に玉城優勢だった。
佐喜眞氏が保守系の候補として選ばれたのは、翁長氏の再出馬を前提として、その知名度に対抗するために、早く候補を一本化し、知名度の浸透を図ろうとしたからだ。
佐喜眞氏は2012年に、前市長の辞職を受けた宜野湾市長選挙で、知事選挙に革新候補として立候補したこともある伊波洋一元市長に対抗して出馬、下馬評を覆して当選し、再選時には圧勝するなど、選挙に強く、行政手腕に長けていると評価されていた。公明党との関係が良いのも好ましかった。
一方、県政与党では、女性で人気がある城間幹子那覇市長は固辞し、糸数慶子参議院議員では革新色が強すぎ、謝花喜一郎副知事では地味すぎるなど、人材難で膠着していた。
そこへ、翁長氏の死後、9日も経ってから、遺言テープが存在するというニュースが流れ、保守系の財界人でありながら翁長氏を支える「オール沖縄」の共同代表だったこともある呉屋守將氏か、自由党の玉城デニー代議士を後継者に指名したとされた。
このテープは公表されなかったし、おそらく、そのとおりの内容のものは存在しないのだろうが、候補者を決められない状況のなかでは時の氏神だったので、県政与党は受け入れた。このような方便を厳しいことを言わずに受け入れる土壌は、沖縄ならではだ。
呉屋守将氏の名を最初に挙げたうえで本人に固辞させて保守系の顔を立て、ほかに勝てる候補がいないというタイミングを選んで翁長氏の遺志だということにする、もともと保守的な防衛思想で、自衛隊の後援団体にも参加していた自由党の玉城氏を革新系にも受け入れさせる見事な政治劇を実現した。小沢一郎氏がすべてのシナリオを書いたのかもしれない。
玉城氏の強みは抜群の知名度に加え、ディスクジョッキー出身らしい語りの軽妙さとハーフらしい格好良さだ。米海兵隊員とのハーフというのがマイナスではというのはヤマトンチュウ的な感覚だが、沖縄ではアメリカ人のイメージはそもそも良いのである。米軍統治時代は、アメリカが豊かで良かった時代であることがものをいっている。
玉城氏の身の上話は沖縄の痛みの象徴とみなされるのであって、ハーフであるがゆえに悪く思われることはない。本当のところ、玉城氏の出自については、父親がいまどうしているかとか、(米国籍はなさそうではあるが)国籍の経緯も含めて詳しい説明はなされていないし、海外でならそんないい加減なことは許されないだろうが、沖縄では許されるのである。
というわけで、玉城氏は女性と無党派層で圧倒的な強みをみせ、さらに本土と同じように保守化の傾向が強く、ネットに強くて偽リベラル系に独占されている新聞やテレビに影響されない若年層でも互角に近い健闘をみせた。
さらに、佐喜眞氏が宜野湾市長だったことは、那覇市の市民から見下される原因にもなった。とくに、翁長氏の地盤だった那覇市の首里や真和志という国都としての誇りが高い地区で差がついた。
党派別で見ると、沖縄知事選挙で公明党支持層から少なからず玉城陣営に票が流れたと指摘する人がいるのは、各地の選挙で保守系が負けたときに、陣営の自民党関係者がいつも愚痴るのと同じだ。
調査によると30パーセント程度が玉城氏に流れたようだが、自民党支持層からも20パーセント以上流出しているのだから、大きなことをいうのはそもそもおかしい。
翁長氏が現職の仲井眞氏に挑んだ2014年の知事選挙では、下地幹郎現代議士も立候補していたので複雑だが、翁長氏と仲井眞氏への投票比率だけを見れば、公明票の38パーセント、自民票の26パーセントが翁長氏に流れていた。それと比べても、今回の公明党の頑張りはむしろ評価すべきである。
前回は、自分自身が第三の候補だった下地幹郎代議士が属する維新の会も、沖縄での貢献を菅官房長官など政府与党への貸しにすべく、党として全力を挙げて佐喜眞支援のために動いていた。