合格ズミの記述も標的に
そもそも、平成26年度の検定に合格した現行版の『新版 新しい歴史教科書』(代表執筆者・杉原誠四郎)にも、右の「欠陥」とされたのと同じ、「黒船来航で西洋文明の衝撃を受けた日本はこの150年工業立国をめざして成功した」という記述が存在する。このことから見ても、教科書調査官がこれを問題にするのは全く不当である。
そればかりではない。多くの同じ例がすでに見つかっている。先に述べたように、現行版をなるべく踏襲してつくるというのが自由社の大方針であった。安全を図ったのである。その、すでに検定に一度合格した記述まで標的にされたのでは、執筆者としては立つ瀬がない。
あとの面接の場面で、4人の教科書調査官の在職年数を訊いてみた。最長が20年で、最短が7年だった。4人は、いずれも前回の2014年度の検定に従事していた。自分たちが検定で合格させた記述を欠陥箇所に指定するとは何ごとか。申請本で欠陥というなら、現行版でも欠陥だということになる。
それなら、まずその責任をとって教科書調査官を辞任し、それから批判すればよい。このような行為は、ブーメランとなって自分にふりかかってくるのである。それをかむりして、民間の会社に責任を負わせ不合格にする。許すことのできない悪行である。
おかしな指摘がゾロゾロ
さらに欠陥箇所のページをパラパラとめくると、おかしな箇所がいろいろとある。とりあえず、二つあげてみる。
▽欠陥箇所番号194番。「戦国大名」の単元に「300年以上命脈を保った毛利氏」というコラムをおいた。これに欠陥箇所の指摘があった。指摘箇所と指摘事由は次のとおり。
《「輝元の時代には豊臣秀吉政権の重臣となり、関ヶ原の戦いでは西軍の大将格として徳川家康に敗北しました。」》
《生徒が誤解するおそれのある表現である。(輝元が関ヶ原で実際に戦闘に参加したかのように誤解する。)》
これには心底驚いた。子供の頃、こういう言葉遊びがあった。「法隆寺を建てたのは誰?」と訊いて、相手が「聖徳太子」と答えると、「残念でした! 宮大工です」とオチを付けるのである。
関ヶ原の戦いとは、日本を二分した東西の大名の政治的対立の問題であって、個々の大名が戦場にいたかどうかは二義的な問題だ。薩摩藩の島津義弘も、退却戦まで実際の戦闘には参加していない。
ある現象を記述するレベルの違いを意識できず、関ヶ原の戦いという単語を聞くと「実際の戦闘」しか考えられないのは、言葉遊びに興ずる子供のような頭脳構造だ。
▽近代史からも一つ。欠陥番号320番。「満州事変と満州国の建国」という単元で、「満州はなぜ建国されたのか」というコラムを配した。このなかで、《満州はもとは「満洲」(州にさんずい)という狩猟民の故郷だった》と書いた。これが欠陥箇所とされ、《生徒に理解し難い表現である。(「満洲」(州にさんずい))》とされた。
これは「洲」の字が当用漢字になく、意味のまったく違う「州」の字を充てなければならないことから、「洲」の字は生徒になじみがなく、ただ「洲」と書いただけでは生徒が見逃してしまう可能性があるので、「(州にさんずい)」と説明した教育的配慮である。これが欠陥だ、という教科書調査官の頭の構造こそおかしいのではないか。
こんな調子で、いたるところにおかしな指摘がゾロゾロ出てくるのである。
▽最後は現代史から。欠陥番号369番。1949年に成立した中華人民共和国。これを「冷戦」を学ぶためにつくった東西対立の対比年表で、《1949年・・・中華人民共和国(共産党政権)成立》と書いたら、《生徒が誤解するおそれのある表現である。(成立時の中華人民共和国の性格)》という指摘事由が書かれた。
お飾りの政党を作るのは共産党の常套手段である。それを教科書調査官は「連合政権」だという。こういう教科書検定をしている限り、子供が物事の本質を学ぶことを文科省は妨害していると言わざるを得ない。
これらの例を見てくると、何としても自由社の教科書を落としたいという執念が感じられる。落とすために欠陥箇所を大量に水増ししたのである。