水増しのあの手この手
以下、具体例を挙げる紙幅がないので、上記に述べた以外の、いままでに判明した欠陥箇所水増しの手口を箇条書きにしておく。
▽他社の教科書では認められている同じ記述が自由社については認められない、というケースがある。東京書籍の中学校の教科書、山川出版の高校の教科書などですでに判明している。特定の会社の教科書だけを狙い撃ちし、欠陥品という不当なレッテルを貼って倒産に追い込むという所業は、特定の会社を依怙贔屓し、利益を供与するのと全く変わらない汚職である。
憲法第15条第2項には、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と書かれている。いずれ教科書調査官の罷免を要求する展開になるだろう。
▽社会慣習上存在しない勝手なルールを決めて、自由社の検定不合格用に使いまくる、ということが行われた。たとえば、「 」で括った文章は、原文からの直接引用以外に使ってはいけないというルールは存在しない。しかし今回の検定では、「 」付きの文章はことごとく摘発され、「生徒が直接引用であると誤解するおそれのある表現である」という指摘事由が頻出した。
特定の学術論文や論争的な論文の場合は例外として、一般の書籍では古典からの引用などでも、要旨や大意を示すために「 」で括って示すことは普通に行われている。教科書も例外ではない。そもそも、前回の検定ではこのような括弧の使い方が認められていたのである。
▽何とも名づけようのない姑息なやり方が行われたケースもある。その極めつきは、令和の元号の発表が数カ月予定より遅れたため、検定提出のための申請本の印刷が間に合わず、やむなく「■■」と表記しておいたところまで欠陥箇所に指定されたという事例である。こういう表記にならざるを得なかったのは政府の予定変更の責任であるのに、民間に不利益をこうむらせるのは承服できない。
検定に名をかりた不正行為
以上見てきたとおり、このたび起こったことは、「検定」に名をかりた文部官僚による不正行為なのである。文部省が犯した信じがたい一大スキャンダルだ。国政上の重大問題である。
不正は正されなければならない。被害を受けた自由社の失われた利益は回復されなければならない。国会は特別委員会をつくって徹底的に審議し、被害者の権利回復の手立てを早急に取らなければならない。今回の「不合格」処分を取り消し、特例として採択に参入できる道を開くべきである。
関係者の処分は免れない。憲法違反、国家公務員法違反を追及されるだろう。教科書調査官は懲戒免職が相当である。また、これを許した外部の審議会メンバーも何らかの処分が必要だ。
教科書検定制度そのものの改善も急務だ。誤解しないでいただきたいのだが、私たちは教科書裁判を起こした家永三郎のように、検定制度が違憲だとして廃止を求めているわけではない。405の検定意見のなかには、妥当なものもある。制度の意義は失われていない。
しかし、今回は明らかな不正行為が行われたのである。背後にいかなる勢力があったのかは、いまのところ分からない。しかし、不正の温床となった規定は廃止すべきである。
かつて、1986年の『新編日本史』検定事件の頃は、検定意見は、強制力のある「修正意見」と、従う法的義務のない「改善意見」とに分かれていた。今日では、両方とも強制力のある意見として扱われている。これはおかしい。強制力のある検定意見は、事実の間違いなどに限定することを検討すべきである。検定意見の区別を復活すべきだ。
何のための検定か、本質論を論じなければならない。「検定意見」は教科書の改善に資するためのものであるはずだ。それを教科書を落とすための道具として「欠陥箇所」に読み替えるのは、概念の混乱である。
私たちは、申請本を市販本として発売し、検定資料を公開して、国民が誰でも情報にアクセスできるようにする。そのうえで、広く呼びかけて「文科省の教科書検定を検定する」国民的な運動に取り組みたいと思う。読者のご参加をいただければありがたい。