検定結果通告の日
暑い夏もとうに去り、晩秋の気配が漂う令和元年(2019年)11月5日、文部科学省が一角を占めている大きな建物の裏口に当たる地下から、長いエスカレーターを上がって外来者用の入口を入った。文科省の庁舎は外務省のように桜田通りに面して大きな玄関を構えておらず、どこか「裏口入学」という言葉が頭をよぎるような日陰者の佇まいを感じさせる。
エレベーターを7階まで上がると、狭い廊下を少し歩いて初等中等教育局教科書課のドアに辿りつく。中に入ると、若い女性職員が別室に案内してくれる。長方形の広い部屋に矩形の長いテーブルがあり、その一方の側に私たちは席を占めた。向かい側は、あとで入ってくる文科省側の教科書調査官が座る席だ。
今日は令和元年度に実施された教科書検定の結果が通告される日である。私は、1997年に「新しい歴史教科書をつくる会」が創立されてから、同会が推進する中学社会歴史的分野の教科書の執筆者の一人として、過去に5回、同じ場面に立ち会っている。同僚は他の執筆者と発行元の自由社社員などである。
少し待つと、教科書課検定第一係の女性の係長が書類をもって現れ、書面を見ながら検定結果を告げる。いつもの流れである。裁判の判決言い渡しになぞらえれば、裁判長による「主文」の読み上げに当たる。通告は、「留保」と「不合格」の二つの可能性がある。私たちは固唾をんで「判決」を待った。
ここで、どうして「合格」か「不合格」かの二つの可能性と言わないのか、疑問が生じるはずである。そこが検定制度にかかわる言い回しの独特なところで、文科省用語では、この段階での「合格」は検定意見が「〇」ということを意味する。そういうことは普通あり得ない。だから、この可能性は除外しておいたのである。
では、「留保」とはどういうことかというと、合格・不合格の判定を「留保」するという意味なのである。このあとの手続きは、文科省側から「検定意見書」という名称の一覧表の書類が交付される。それに基づき、出版社側は教科書の内容を修正し、正誤表の形にして文科省に提出する。
それに対し、文科省の教科書調査官が出版社を呼び出して、個々の項目について、これで良いとか、この修正ではダメだとか回答する。出版社はダメ出しをされた項目について再度修正表を出し……という具合に、教科書調査官が「これで良し」と言うまでこのプロセスは繰り返される。そして、ついに全ての項目がクリアされると、初めて「合格」の通知が出るという仕組みになっている。これが検定の通常のプロセスである。
さて、この日、係長の口から出た言葉は「不合格」であった。しかし、私は少しも驚かなかった。なぜか。それを次に説明しよう。
つくる会教科書、異例の不合格 「欠陥」405カ所指摘:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASN2P7456N2PUTIL049.html「新しい歴史教科書をつくる会」系の自由社が発行する中学歴史の教科書が、文部科学省の検定で不合格となったことがわかった。つくる会が21日に会見で明らかにした。過去に合格した教科書が不合格となるのは極め…
朝日新聞も《過去に合格した教科書が不合格となるのは極めて異例》と。
「不合格」の二つのケース
いままでも「不合格」を宣告されたことはあった。初めは誰でもこの言葉を耳にすると、ひどく驚く。私もそうだった。しかし、この段階での「不合格」は「いったん不合格」ということであり、「仮不合格」という意味である。その証拠に、係長の口から続いて出る言葉は「70日以内に申請図書を作り直して再申請して下さい」というものである。
「不合格」の場合は、検定用の申請図書(通称は「白表紙本」)そのものを作り直して、70日以内に再申請するのである。その後は通常の検定プロセスが始まる。それでも年度内には合格し、採択戦に臨むことができる。
これまで5回にわたるつくる会の教科書も、この手段を経て「合格」してきた。
だから、「不合格」と言われても、それで事が終わるのではなく、再申請して復活することができる。私が「不合格」という言葉に驚かなかったのは、そういうわけだったのだ。
しかしこの日は、その先が以前とは違っていた。係長は、「反論される場合は、20日以内に反論書を提出して下さい」と言ったのである。こういう言葉は初めて聞いた。
これはどういうことかというと、つけられた検定意見の数が「著しく多い」場合は「70日以内再申請」の復活ルートは認められず、反論権は形式的に与えられるが、その反論を認めるかどうかも文科省側、即ち検定する側の自由裁量に任される。
つまり、同じ「不合格」(内容的には「仮不合格」)でも程度の差があり、二つのケースがあることになる。二つとは即ち、①70日以内再申請ルート②20日以内反論書提出ルート、の二つである。
この違いは、プロ野球で終盤の優勝争いをしている野球チームの状態に喩えるとわかりやすいだろう。①はまだ自分が努力すれば優勝の可能性があるという状態であり、②は自力優勝がなくなった状態である。②では優勝を争うライバルチームが残り十試合のうち全敗してくれれば奇跡的に優勝が転がり込んでくることもあり得るが、一勝でもしたら「ジ・エンド」である。確率的にはそんなことは考えられない。
『新しい歴史教科書』は、「自力優勝ナシ」の野球チームの状態に追い込まれたのである。反論書を出しても、それをスンナリ認めるとは考えられないからだ。
なお、ここでは煩雑になるので、①と②の二つのルートが何を基準に分けられるのかについては、あとで説明する。