鳴き続けるのがジャーナリストの仕事
〈自民党総裁選〉
異論とか反論とか少数者の考えというのを、ある種の強権でねじ伏せ、封じて、聴こうとしない政権の体質。政権とか権力者の在り様が、今回の自民党総裁選で問われていると考えると物凄く重要な総裁選だ(サンモニ、18年9月16日)。
[注釈]典型的な【論敵の悪魔化 demonization】です。安倍政権は、むしろ権力の行使に慎重で他者の意見を聴く民主的な政権であり、いわゆる「強行採決」のペースも民主党政権の半分程度に過ぎません。
何をもって強権なのか、メディアの印象操作は公正な社会を破壊する極めて重大な問題です。
〈改正入管法可決〉
ひどい。本当にひどい。特定秘密保護法も安保法も共謀罪もひどかったが、今回の国会審議の通し方は最悪だ。こんなことやっていたら、国会はいらないっていうことになる(サンモニ、18年12月9日)。
[注釈]青木氏は「ひどい」 「最悪」などの【評価型言葉 evaluating word】を連呼して政府批判していますが、論理的には何の意味もありません。批判を行う場合には、事実を根拠にすべきです。
〈あいちトリエンナーレ〉
展示中止は極めて残念だ。気になったのは政治家、ある種、芸術への政治の介入だ。政府に批判的な芸術に公的資金を入れるのはどうかという議論もあるが、これは別に政府の金ではない。税金だ。独裁国家でもあるまいし。ある種、日本社会全体で、日本の表現に対する不自由展を演じてしまった(サンモニ、19年8月4日)。
[注釈]この件において、政治家は誰も出品者の精神的自由を奪っていません。芸術という名の下に、公共の福祉に反するヘイト表現で公金を得るという経済的自由が否定されただけです。事実を歪曲して前提とするこの言説は【ストローマン論証 the strawman】です。
なお、日本のような法治国家では、税金の運用は法律に従います。税金は、テレビのコメンテーターや活動家のような声の大きい人たちだけのものではありません。
青木氏は、しばしば論証の前提となる情報を恣意的に選んで結論を導きます。
〈新春討論〉
小松靖アナ:そこまで安倍内閣は史上最悪の政権だと言うのであれば、対案がないと説得力が伴わない。で、その話をすると「私は政治記者ではないので」と言うが、そんなことは関係ない。社会部の記者としてこれまでの知見を集結すれば、一つの答えは十分に出せると思う。
青木理氏:ジャーナリストという存在が対案を出すべき存在なのか、と僕はずっと疑問に思っている。鳴き続けるのが僕らジャーナリストの仕事であって、対案を出すのはテレビ朝日・番組・政治学者の責任かもしれないが、少なくともジャーナリストという立場で対案を出すことを僕は仕事とは思っていない(BS朝日新春討論、18年1月1日)。
[注釈]青木氏の言うとおり、批判を行う場合に基本的に対案は必要ありません。しかしながら、小松アナの言うとおり、青木氏が「史上最悪」という比較を結論に含めている以上は対案を示す責任があります。
自説の論拠を隠し、高らかに結論だけを述べる【チェリー・ピッキング cherry picking】は【情報操作 information manipulation】であり、ジャーナリズムではありません。
〈辺野古基地〉
今日はまさに選挙だ。辺野古の埋め立ては2兆数千億かかる。我々の税金だ。このような膨大な金を使って、沖縄をある種、押し付けてやっていいのか。大きな争点だ。僕もこれから投票に行く(サンモニ、19年7月21日)。
[注釈]多くの論点がある辺野古基地問題について、参院選当日に一方的な政治宣伝を行い、辺野古基地に反対する野党への投票を暗に呼び掛ける青木氏です。
これは、自説に好都合な情報のみをテレビ放送を利用して有権者に与えて宣伝する【カード・スタッキング card stacking】であり、間接民主主義に対する公然とした挑戦に他なりません。