「もう少し選ばれては?」(2019年12月25日)では「宣伝になるのは避けたいので誌名は記しません」としながら、「あまりに下品で引用するのもはばかられるのですが」などと弊誌2月号の「見出し」だけを見て批判。読みもしないで、批判する。
ジャーナリストであるならば、月刊『Hanada』と記し「骨」のある批判をすべきだろう。
ポジショントークの正体
青木理氏は、地上波テレビ放送の情報番組で大活躍している売れっ子コメンテーターです。『日本会議の正体』 『安倍三代』などの著書でも知られる青木氏は、ジャーナリズムの使命は政権チェックにあると公言し、来る日も来る日もひたすら安倍政権を斬りまくっています。
もちろん、政権チェックはジャーナリズムの重要なミッションの一つではありますが、ジャーナリズムの本来のミッションは、政権にとって有利か不利かにかかわらず、正しい情報を正しい論理を用いて分析し、最終的に正しい結論を導いて情報受信者に提供することにあります。
民主国の主権者である国民は、各種メディアを媒介して得られた情報を十分に吟味することで、国民の代表である議員を選択することになります。
その意味で、ジャーナリズムが政権を批判するだけの一方的な結論のみを提示することは、必ずしも国民の利益に適うものではありません。政権批判に終始する青木氏のジャーナリズムは、十分に情報を得ることができない情報弱者をミスリードしている可能性があります。
加えて、青木氏のジャーナリズムには多くの疑義が存在します。どんな話題でも、いつのまにか安倍政権や日本社会に対する批判に変えてしまう青木理氏のマジカルな言説は、いわゆる「ポジショントーク」である可能性があります。
ポジショントークとは、前提となる情報から特定の立場にとって好ましい結論のみを導くことを意味する和製英語です。
ここで、与えられた情報から必ず特定の立場にとって好ましい結論を導くには、論証抜きに結論を出す(論証不全)か、前提となる情報に操作を加えて結論を出す(論点歪曲・論点隠蔽)か、情報を分析する論理に操作を加えて結論を出す(論点相違・論点変更)ことが必要となります。
実は、青木氏の【論 argument】には、これらの操作が“ある種”ふんだんに加えられています。本稿では、国内政治事案に限定して、青木氏の言説の実例を挙げ、あくまでも論理的に分析してみたいと思います。
アジテーションと陰謀論
青木氏は、しばしば完備していない前提から強引に結論を導いて主張します。
〈安保法案採決〉
安倍政権は、戦後70年の日本の矜持を根本から引っ繰り返している。それだけでなく、完全に違憲と言われているのに採決を強行する。そういう立憲主義を無視する政権を、はたしてこのまま存続させるべきなのか。
怒りを持続させて、この政権を認めるべきか否かを僕らの側が議論する段階に入ってくる(サンデーモーニング、2015年9月13日)。
[注釈]安保法案が採決される直前の日曜日、サンモニ初登場の青木氏は、実際には論証とは言えない【個人的確信に基づく論証 personal assurance】により、番組の論調を代弁する御用コメントを連発しました。
この言説の前提である「安倍政権が日本の矜持を引っ繰り返している」「完全に違憲」というのは青木氏の単なる個人的確信であり、こういった根拠から結論を導く誤謬は、青木氏の言説に頻繁に認められます。
なお、「怒りを持続させて」は明らかな【群集操作/アジテーション crowd manipulation】、「僕らの側」はポジショントークの主語であり、放送法に抵触するものと考えます。
〈参院選自民党圧勝〉
安倍政権のコアな支持層である日本会議の主張を検討していくと、政教分離とか国民主権を明確に否定する方々がかなりいる。今回の参院選は、結果的に凄く大きな分水嶺になった可能性もある。
まだ遅くはないので、改憲の発議をするなかで大丈夫なのか慎重に見ていないと、ゆでガエルがゆであがって死んじゃう状況にこの国がなりつつある(モーニングショー、16年7月17日)。
[注釈]『日本会議の正体』の著者である青木氏は、まるで日本会議が日本を支配しているかのような【陰謀論 conspiracy theory】を頻繁に繰り返します。強権支配者が証拠を隠蔽しているとする陰謀論は、論証とは言えない【立証不能論証 unprovable argument】です。
陰謀論を使えば、あらゆる虚偽を造り出して政権の批判を行うことが可能です。