だが行政当局による立入検査には限界があった。立入検査は患者への手術の説明や、各種記録が適切に行われていたかなど医療安全管理体制上の問題確認が中心。A氏が通報した個々の医療事故が「医療事故に当たるかどうかは判断しない」(京都市保健福祉局医療衛生推進課)のだ。
それを良いことに第一日赤側は、私が知る限り、行政指導後も、正常脳を切除した恵子さん以外は医療事故と認めず謝罪もしていない。
恵子さんが日本赤十字社などを提訴したのも、第一日赤側のあまりに不誠実な対応に強い不信を抱いたからだ。
立入検査を行った京都市役所(筆者撮影)
密室で何が起きたのか
社会には、医療事故訴訟を「金目当て」と中傷する人がいる。だが多くの医療事故被害者遺族を取材してきた経験から言うと、患者と遺族は「病院という密室で何が起きたのか、とにかく真相を知りたい」 「自分と同じ苦しみを味わう不幸な人を増やしたくない」 「心からの謝罪をしてほしい」という一念で訴訟を起こしている。膨大な手間暇と精神的なストレス、弁護士報酬などの出費を伴う訴訟をだれも好き好んで起こしたくないのだ。
恵子さんが、わが身に降りかかった医療事故の事実を初めて知ったのは2年前。本誌報道のための事前取材で私が医療事故であることを伝えるまで、恵子さんは自身の身に起きた重大な事実を一切知らされず、第一日赤を信じて懸命にリハビリに励んでいた。
私から医療ミスがあったことを伝えられた恵子さんは「病院を信じていたのに。ショックです」と語り、涙を流した。
恵子さんは正常脳を摘出された直後から、それまでまったくなかった右手足の強いしびれが出現。日がたつにつれて症状はどんどん増していった。
手足だけでなく体の右半身全部がしびれ「下から磁石で右半身をいつも地面に引っ張られている感覚」で、右足を上げたつもりが上がっておらず何度も転び、外に出るのが怖くなった。
医療事故であることを知らされる前、恵子さんは「手術が上手くいったのに後遺症が出るものですか」と執刀医に訊いたが、執刀医は自らのミスについては何も話さず「脳腫瘍の手術後によくあること。仕方がないことだからリハビリに励むしかない」とシラを切った。
信頼してきた医師に裏切られた恵子さんは、本誌報道後の2023年8月、日赤本社などを提訴した。