硫黄島より送られたお父様の手紙
その後、陸軍司令部壕に。ここは、新藤義孝大臣の祖父である栗林忠道中将が最後まで指揮を執った場所であり、皆で手を合わせた。さらにいくつかの壕を巡拝したが、壕内の多くは灼熱であった。摺鉢山の日米戦没者顕彰碑では、見える海岸線はとても穏やかであった。
目をつむり79年前の大激戦と苦闘を思い起こし慰霊した。そして、ご遺骨収集の現場で慰霊をした後、夕方、硫黄島航空基地から帰路についたが、JALのチャーター機は硫黄島上空を2回旋回してくれた。上空からも慰霊をすることができた。
私は過去、お父様が硫黄島で散華されたご遺族から、硫黄島より送られたお父様の手紙を見せていただいたことがある。当初は普通の大きさで書かれていた手紙も、米軍の上陸作戦が迫ると、どんどん文字は小さくなりびっしりと書かれていた。
手紙には、祖国に対する思いと家族への思い、後を託す思いが記されていた。今回の訪問で、硫黄島で戦った方々がどのような状況で、どのような思いで戦ったのかを、まざまざと知ることができた。国を守る覚悟はご英霊に比べいかばかりかと自戒した。
翌31日には靖国神社に参拝し、参列の報告と祖国を思い家族を思い散華されたご英霊に尊崇の念と哀悼の誠を捧げ、御霊安かれと祈念した。境内の日当たりの良い所では桜が咲いていた。遠方で散華されたご英霊は、本土の桜をさぞ見たかったことであろう。
しっかりと国の衛りを固め、抑止力を強化し、平和な日本を守っていく。
著者略歴
1974年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業(日本外交史)。1997年、アナウンサーとしてNHKへ入局。新潟局、帯広放送局、大阪放送局を経て、2009年7月より仙台放送局に勤務。東日本大震災の報道や取材に携わる。2013年、第23回参議院議員選挙において、宮城県選挙区で初当選。2019年、全国比例区で再選。