同性婚の問題は「権利」ではなく「社会的認証」の問題
ここでこの問題に関する一般的な論点を簡単に紹介しておきたいと思います。
日米欧は【自由主義=リベラリズム liberalism】の国家であり、ジョン・ロールズの自由主義の【正義 justice】を法哲学の基本としていますが、同時に【民主主義 democracy】の国家でもあり、他の【多元的 plural】な正義も尊重しています。
次のリンクは、自由主義の正義と対称的な【共同体主義 communitarianism】の正義を提唱するマイケル・サンデル教授の同性婚問題に関する講義の動画です。サンデル教授は、この講義で多くの重要な論点を示しています。
通常、自由主義国家では、他者に危害を加えない限り、自らが希求する【善 goodness】を実行する自由があります。同性婚についても、その行為自体は誰にも危害を与えません。
ただし、この考え方で同性婚を認めれば、同様に「一夫多妻」「一妻多夫」「自分との婚姻」「生物との婚姻」「無機物との婚姻」など、様々な形態の婚姻を認める必要が出てきます。
このため、婚姻の権利を考えるにあたっては、婚姻の【テロス(哲学的目的) telos】を定義する必要が生じます。ちなみに、そのテロスは「生殖活動」ではありません。なぜなら、生殖の可能性は、現在の異性間の婚姻においても、必要条件とされないからです。
宗教や道徳の考えを排除すれば、婚姻のテロスを「互いに独占する宣言を共有する相手を個人が自由に選択すること」とすることができます。
ただし、このように定義された婚姻のテロスをもって国家が同性婚を認める場合にも反対意見は発生します。強い道徳的価値観をもつ市民は、国家が同性婚を公認することに反対するのです。彼らは婚姻を個人の選択を超えた社会的地位・名誉の配分、つまり社会的認証として考えているのです。
公平の観点から考えれば、すべての婚姻を国家が認証する制度を廃止することも一つの選択肢です。これは各個人が自分の婚姻を宣言すれば、それを婚姻と考えても国家は関与しないとするものです。
しかしながら、多くの市民は、婚姻を社会で最も価値がある制度と認識しているので、廃止を望みません。彼らの婚姻に対する認識は、相互性・交友性・親密性・忠実性・家族といった理想を個人が深く宣言し、社会が高く祝福するものなのです。
結局「排他的な永遠の宣言」といったように、婚姻のあるべき姿(テロス)を定義しない限り、議論は進みません。ここにコミュニティに属する個人の倫理の集合体である道徳が議論に関与せざるを得ないのです。
サンデル教授の講義の結論は同性婚の可否ではありません。サンデル教授は、多元的社会において同性婚の可否を問うには、社会の構成員の対話が必要であると結論付けたのです。
その意味で、日本においても、憲法改正の議論を通して倫理的な合意点を模索することが重要であると考えます。実際、パートナーシップ制度がさらに充実すれば、同性婚の問題は、自由主義の正義が関与する「権利の問題」ではなく、「社会的認証のみの問題」となります。
議論の進め方としては、政治家は勿論のこと日本の新聞・雑誌・ネット論壇といった言論機関が個々の倫理を提示しながら自由闊達な議論を展開するのが望ましいと考えます。
その一方で、『サンデーモーニング』のような偏向テレビ番組の偏向コメンテーターが公共の電波を悪用して社会の「快」「不快」を統制する発言は、厳に慎む必要があると考えます。テレビは特定思想のプロパガンダ装置ではありません。