リップサービスで周囲を振り回しただけ
10月25日の県議会総務委員会(静岡県庁、筆者撮影)
12日の知事発言では、県内商議所会頭ら外部に対して、「詰めの段階」だとして、三島駅近くの国有地の譲渡や定期借地まで明らかにしたのだから、13日県議会の「何も決まっていない」は単なる言い訳であると考えるのがふつうである
結局、事の詳細を詰める関係委員会の閉会中審査することで、9月県議会は閉会、12月県議会に問題を先送りするしかなかった。
そして、25日の閉会中審査の矛先は県職員の対応に向けられた。
5項目の付帯決議を可決したと言っても、法的強制力はなく、どのように判断するのかは川勝知事に任されている。
5項目の中の1つ、「知事の不適切発言による県政の混乱を踏まえ、県当局は知事の言動を十分に把握した上で、知事をいさめること」だけが、知事ではなく、県職員に対応を求めている。
果たして、そんなことができるのか?
今回の問題で、知事発言の通りであれば、まだ全く何も決まっていない段階なのに、あたかも三島市の国有地に、東アジア文化都市のレガシー施設を置くなどと具体的な事実をしゃべったことになる。
「詰めの段階」という知事発言は何だったのかに質問等が集中した。
事務方は「詰めの段階」などではなく、外部に出す段階ではないなどと説明に追われた。担当部長は「三島駅近くに国が利用する予定のない国有地の情報をもらったが、譲渡など具体的な検討に至っていなかった」などと述べた。
もし、そうならば、川勝知事の発言は、頭にあるアイデアをあたかも「詰めの段階」のように外部に話したことになってしまう。
つまり、一般的な「詰めの段階」という意味が川勝知事の場合、全く異なるのだ。
川勝知事の「詰めの段階」発言は、あまりにも無責任であり、三島商議所などへのリップサービスをしただけで、周囲をすべて振り回したことになる。
首に鈴をつけるのは無理
ここでは具体的に述べないが、川勝知事は、これまでも何度も同じように無責任な計画をあたかも実施するように平気で外部に公言してきた。
そもそも、知事選の公約でさえ、何ひとつ果たしていないのを見れば、それははっきりとする。
リップサービスで済まされる問題ではないが、ペラペラと精神論を繰り返されると知事の言っていることがもっともらしく聞こえてきてしまうようだ。
結局、総務委員会は、「職員が知事をいさめること」という「附帯決議」を可決したばかりなのに、実際に、職員たちと知事の間でちゃんと意思疎通できているのか、県庁内ではどのように取り組んでいるのか、という「組織論」の話に発展させるしかなかった。
しかし、選挙戦を勝ち抜き、県民の負託を受けた知事に、本当に県職員が「いさめる」権限などあるのか、という高い壁に突き当たってしまう。
元県職員だった副知事の退職金辞退問題でも、任命者の川勝知事の指示に副知事は逆らえない。幹部級職員であっても、知事の指示に従うことだけが求められるのだ。
「知事をいさめること」など期待されてもできるはずがない。
つまり、誰が猫の首に鈴を付けるのかはできない相談である。
付帯決議は絵に描いた餅であり、県議会の責任と役割に戻ってしまう。
対決姿勢を強める自民党県議団だが、いくら川勝知事を厳しく「いさめて」も、打つ手なしの状態が続いている。馬耳東風のたとえ通りである。
「諫議太夫」を置くのは、権力者が自身で決断しなければ、意味を失う。
どんな失言をしても、全知全能感を持つ「権力者」川勝知事はそんなことを考えるはずもなく、川勝知事に真っ向から「いさめる」ことで、反省させ、辞職しなければならないと決断させるのが政治家の役割である。
残念ながら、いまのところ、静岡県にはそのような政治家は見当たらない。