「大型タンク」「モルタル固化」対案になっていない机上の空論
③の原発建屋内への地下水流入防止策は、いまでも懸命に取り組まれている最中だ。だがその効果が思うように上がっていない現実がある。だからこそ、地下水をALPSで処理した上で、海洋放出する必要があるのだ。共産党の主張は、弱みをあげつらっているだけで、原発事故処理にむけては役に立たないばかりか、足を引っ張るものでしかない。
④の「大型タンク貯留案」「モルタル固化処分案」は、一時的な延命策にしかならず、海洋放出に対案にすらなっていない。しかも、どちらも実施するとすれば、広大な土地を必要とすることになる。藤島朋子川口市議の「人が住めなくなった広大な土地」発言は、この見解から導き出されたものだ。
「大型タンク」も「モルタル固化」も、今後の地下水量が見通せなければ、計画をつくることすらできない。実現可能性は乏しいのだ。それでも共産党は「これが対案だ」と言わんばかりに主張してくる。無理を通すために、③の地下水流入防止策のような無理難題を押し付けるようになる。無理が無理を生む机上の空論が共産党の主張なのだ。
科学を完全に無視! 原発でも態度を180度転換の“前科”
志位委員長は9月13日に出演したラジオ番組の中で「重大な問題は、政府が放出される放射性物質の総量を明らかにしていないことなんです」「いちばん肝心な問題は総量なのに明らかにしていない。これが大きな問題です」と述べている。これも科学を無視した発言だ。先に指摘したように放射性物質は宇宙でも地球上でも海洋でもありふれているので、その総量を問題にしたところでまったく意味がないのだ。被ばくなどの影響を防ぐために重視すべきは、濃度だが、その濃度は放出水においてはしっかり管理され基準値以下に低く抑えられている。
核物理学が専門外とはいえ、東京大学工学部物理工学科を卒業した志位氏が、濃度と総量の違いという算数レベルの科学の基本を知らないはずはない。海洋放出を政治的な材料にするための意図的な策略なのだろう。
共産党はこれまでの歴史の中でも、科学的事実を軽視あるいは無視して、自分たちの組織を守るために矛盾した政治的主張を繰り返してきた。
最近では原子力に対する態度を180度転換したことがあげられる。
2011年3月の東日本大震災と福島原発事故の発生直後の時期まで、社会党とは一線を画し、「核兵器廃絶」と「核の平和利用」が共産党の基本スタンスであった。この政策はある種の合理的な側面を含んでいた。原発事故直後の統一地方選挙でのスローガンは「安全優先の原子力行政への転換を」であった。小池晃氏が知事候補になった2011年の東京都知事選挙もこのスローガンでたたかったのである。今から振り返れば正確な提起であったと思う。しかし、浄水場で放射性セシウムが検出されるなど、放射能汚染に恐怖していた有権者には、科学的な「正確さ」は通用するものではなく、共産党は惨敗した。その直後から共産党は科学も、現実の原子力行政の実態も無視した「原発ゼロ」の政策に舵を切るようになった。党勢を維持するために科学とは無縁の「反原発」運動に身を置くようになったのである。
それより以前の1950年代から60年代にかけては、ビキニ環礁での核実験をはじめとするアメリカの核兵器開発に反対しながら、ソ連、中国の核兵器保有やそのための核実験については「世界平和のために大きな力 」「きれいな核」などと主張して、賛成し擁護してきた。これもソ連、中国の庇護を日本共産党が求めていたからに他ならない。
中ソが対立するようになると、米ソを中心に合意された海洋や大気圏内での核実験を禁止する条約(部分核停条約)に共産党は反対し、激しく妨害した。核兵器開発が遅れていた中国をおもんぱかったのである。
だが、部分核停は大気や海洋の核汚染を止めるために何としても必要な条約であった。今でも60年代の核実験が由来のストロンチウム90など検出され続けているが、共産党の主張が通り、部分核停が実現していなかったら、「汚染魚」は現実となっていたかもしれないのだ。
1965年1月24日、毎日新聞は「〝死の灰〟の声がする」との大見出しで大型の特集記事を掲載した。当時、日本海沿岸の地域を中心に日本全国で、米ソ中の核実験による放射性物質を含むチリ「死の灰」が降下する問題が常態化していたが、記事はその観測の最前線の現場をルポしたものだ。記事中に登場する新潟大学の小山誠太郎教授は「アメリカ核実験の放射能を大量に検出すると左翼の人たちにちやほやされ、逆にソ連に不利なデータを出すと反動呼ばわりもされた」と語っている。科学よりも政治的主張が優先される悪習は今も昔も同じだということだ。
このインタビューをした政治部の志位素之記者は志位和夫委員長の叔父にあたる。志位委員長にいまこそ叔父が核の専門家から聞いた言葉をかみしめてほしいものだ。