知事は7月4日、明清代に琉球から訪れ、客死した使節らを埋葬したとされる北京市内通州区張家湾鎮立禅庵村にある琉球国墓地跡を訪問し、焼香した。
また、6日には日本国際貿易促進協会一行とは別行動をとり、福建省福州市を訪問し、琉球館を見学している。これは、かつて琉球の領事館の役割を果たし、朝貢体制のシンボル的施設だとされている。
中国メディアはこれらを大々的に報道。また、玉城知事は北京日報の記者へ、「私が参拝時に(焼香に)使った線香は、中国から伝わったものだ。それは、日本本土で使う線香とは異なる」と発言している。まるで「沖縄のルーツは中国」と言わんばかりだった。
一連の報道に、中国民衆は「『琉球は中国の朝貢国』、要するに属国だったという印象を受けたに違いない。
知事の訪中に合わせてインタビューで紙面を割いた「環球時報」(7月2日付け)はその発言内容を集約し、「日中関係には周知のように暗雲が垂れ込めているが、『沖中関係』」(沖縄と中国の関係)は雲一つない晴れ模様である」という内容を演出している。
知事は日頃、尖閣諸島に関する中国公船による領海侵入事案に無関心であることを利用されているのだ。中国のこれらの戦略は、まさに兵法六韜三略に「相手の気に入るようにして十分信頼を得たら、隙を見て攻撃をしかける」を地で行くようなものだ。玉城知事の素人外交が中国の戦狼外交に敵うわけがない。
実際、玉城知事が福建訪問中の7月6日、習主席は台湾方面を管轄する東部戦区の部隊を視察し、将兵に対し、戦意高揚を図っている。
一方、6月4日、中国共産党機関紙「人民日報」一面に、習近平国家主席の沖縄関連発言が大きく掲載された。習主席は6月1日、福建省福州市にある古文書などの保管所「中国国家版本館中央総館」を突如訪問し、「尖閣諸島は昔から中国領だ」と主張する際に根拠として引用される「使琉球録」の展示の前で立ち止まった。
同館職員の「これは釣魚島(日本名・魚釣島)およびその付属諸島が中国版図に属すると記録した初期の本だ」という説明を受けて、こう発言したという。
「私が福州(福建省の省都)で働いていた頃、福州には琉球館と琉球墓があり、(中国と)琉球との往来の歴史が深いことを知った。当時、『閔人三十六姓』が琉球に行っている」
暗に、「尖閣、沖縄は中国に帰属する」と言っているのだ。
玉城知事訪中後の7月13日、人民日報系の「環球時報」は「中国で琉球を探求する」と題し、SNS「微博」で、国内の「琉球」ゆかりの地を識者と巡る動画の連載を開始した。連載第一弾で、玉城知事が訪れた北京市の「琉球国墓地」跡地を取り上げている。
玉城知事の訪中は、こうして中国側の宣伝に「利用」されているのである。
知事失格の行動
玉城知事の国益を損なう行動は、これだけではない。本稿では、その反日ぶりの数々を紹介したい。
とくに目に余るのが、反米軍基地パフォーマンスである。
今年1月13日、米海兵隊は「普天間基地所属のCH53ヘリコプターなど四機の離着陸訓練を下地島飛行場で行いたい」と県に許可を要請した。目的は、離島の人道支援・災害救援のための習熟飛行であった。
ところが、知事は米軍の要請を拒否したのである。
前日の1月12日、ワシントンで日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)が開催され、訓練などでの空港ならびに港湾の柔軟な使用に関しての合意がなされたばかりだった。その訓練を拒否した知事の行為は、あえて中国的に言えば「国家反逆罪」に当たる。
離島住民の迅速な避難は、災害時だけでなく、台湾有事でも重要な課題だ。その訓練を拒否するなどあり得ない話で、玉城知事は離島住民の命よりも思想信条のほうが大事なのだろうか。
結局、米海兵隊は、同ヘリコプターによる下地島を含む宮古島上空の旋回飛行を行う代用訓練で済ませるしかなかった。
その後、2月17日、沖縄本島から北西約280キロ地点の日本の排他的経済水域(EEZ)内で漁業資源調査にあたっていた調査船「陽光丸」(32人乗船)に、中国海軍艦載ヘリコプターが上空30メートルまで接近を繰り返すという威嚇行為を行った。
知事が反米軍基地パフォーマンスを繰り返し、日米同盟にヒビが入るようなことがあれば、中国はさらに大胆な行動をとり、沖縄県民はより危険に晒されるだろう。知事失格である。
4月17日には、糸数健一与那国町長が県庁を訪問し、台湾有事の際、住民が迅速に島外避難できるように滑走路の延長、大型港湾施設の建設を要請したところ、「需要に課題がある」として拒絶している。自衛隊や米軍に拡大利用されることを警戒してのことだというから呆れる。
自衛隊の要請を拒否
玉城知事は米軍だけでなく、自衛隊の活動も妨害している。
4月、自衛隊は北朝鮮の軍事偵察衛星打ち上げに伴い、一部が沖縄県内に落下する事態に備え、4月29日までに海自輸送艦で迎撃ミサイル「PAC3」部隊と関連車両を、宮古、石垣、与那国三島へ配備しようとしていた。
しかし、防衛省が那覇港、中城湾港に接岸したいと県に要請すると、知事は「接岸予定岸壁がすでに民間の船舶の予約が入っている」として、拒否したのである。
「本島所在の港の岸壁に空きがなかった」
「岸壁の使用や空港の時間外の使用は、規則に則って、当然運用できるものであれば許可をする」
と弁明しているが、理解に苦しむ。
離島住民の生命と財産を守る意識があれば、たとえ民間船の予約が入っていても沖合待機を要請して、海自輸送艦を優先させることができたはずだ。
結局、自衛隊は急遽、空自輸送機と民間車両運搬船を代用し、1日遅れの30日夕刻、ようやく与那国に到着した。何事もなかったからよかったものの、万が一のことがあったら、どうするつもりだったのか。
知事は離島を軽視しているフシがあるのだ。それが証拠に、2期にわたる任期中、宮古、石垣へは一度も行政視察をしていない。
与那国島へは視察こそしているが、最悪の形だった。
2019年5月12日から13日、与那国では50年に一度の記録的な豪雨があり、農作物はほとんど冠水、甚大な被害を受けた。
普通の知事ならすぐにでも現場に向かうだろうが、知事はいっこうに視察せず、ようやく与那国を訪れたのは、約3カ月後の8月2日だった。
その際、「漁協長から中国公船の脅威が増大している」と安全操業推進の要請を受けたが、ノーコメント。与那国島民の知事への怒りは頂点に達した。
与那国を視察するまでの三カ月間、知事はロシアを訪問(6月5~9日)したり、東京で反基地を訴えるトークショー(6月11日)を行ったりしている。
いくらでも与那国を視察する時間はあったように思うが、それよりも自身の政治パフォーマンスを優先したのだろう。