2014年12月19日、ロンドンでの密談
少々長いが、重要なポイントなので判決文をそのまま引用する。
《被告聖子は(2014年)12月19日会談以降、両親に対して、離婚意思があると一貫して表明しており、亡和英及び被告美和もこれを前提として、娘である被告聖子を支援する立場から離婚の相談に応じていたものであり、原告と被告聖子が隠れて連絡を取り合っていたことも把握していなかったのであるから、亡和英及び被告美和が、被告聖子に離婚意思がないことを認識しながら、あえて離婚するように強要していたとは認められず、他に亡和英及び被告美和が本件不法行為を行い、被告聖子に離婚意思を表明させて、婚姻関係を破綻させたことを認めるに足りる的確な証拠はない》
2014年12月19日の会談から聖子さんは一貫して離婚意思があったと裁判官は記しているが、この事実認定はおかしい。いくつか理由を記す。
その4日前である12月15日、大輔さんは1人でロンドンから愛知県半田市にあるミツカン本社を訪れた。目的は養子縁組届へのサインを躊躇したことへの謝罪、そしてミツカンの退職を伝え、その代わり、家族だけは守らせてくださいと和英・美和氏に直訴するためだ。だが、逆にこれまでの怒りをまくし立てられて面談は終了した。
その詳細をロンドンに帰って大輔さんが聖子さんに報告したところ、聖子さんは、青ざめてこう提案した。
「『離婚が絶対条件』との脅しに従ったように見せる必要がある。偽装別居(さらに踏み込んで偽装離婚)をするしかない」
それを受けての2014年12月19日なのだ。
大輔さんを除く(大輔さんは後のことを考えて、聖子さんにも内緒でマイクを仕込んでいた)、和英氏、美和氏、小島常務の前で「離婚させていただきたい」と聖子さんが述べたのは、両親をこれ以上、怒らせないためであり、聖子さんの真意であるはずがない。
聖子さんは裁判で離婚を決意した理由についてこう述べている。
《(2014年)9月からいろいろな人の話を聞いたが、シングルマザーとしてやっていく覚悟ができずにいたこと、他者の見る目に耐えられるかいろいろ思って11月末まで迷っていたが、3カ月間の大輔さんの生活スタイルを見て長男を教育する上で弊害になると感じたこと、ミツカンで働き続けていく上で大輔さんが足を引っ張る存在になると感じたこと、大輔さんに主夫ができるかと尋ねたがこれを否定したこと……》
ここで素朴な疑問が生まれる。
《9月から》とは「養子縁組を強要されてから」ではないのか。
12月19日、離婚を切り出すタイミングについて小島常務は聖子さんにこうアドバイスをしている。
「養子の届けをどうするかということをはっきりさせた上で、その後で話をしたほうがいいのではないか」
「一番最初に決めるべきは養子の手続きをするしないということをご判断いただく」
これに対して返答したのは和英氏である。
「うん、すぐする」
聖子さんの離婚意思は〝偽装〟だった
同日、美和氏は聖子さんに対して大輔さんの暴力が心配だから、離婚の話をするより先に別居をしたほうがいいのではないかと助言している。なぜここで突然、暴力という言葉が出てくるのか。
「(大輔は)棚ぼたで美味しい思いをしていたのがまた急になくなる」
「(大輔は)種馬」
「子どもさえ産まれれば仕事は終わり」
この日、発せられた美和氏の言葉こそ大輔さんに対する暴力だろう。
そして2015年2月7日、小島常務は弁護士から聴取した意見として、聖子さんに電話でこう伝えている。
「同居の状態のままで離婚の話を切り出して追い込むのはリスクがある」
「まずは別居の方法を具体化してはどうか。おおきくは『英国内で引っ越し』『会社として日本への異動』」
同年3月18日、聖子さんは大輔さんに離婚を申し入れ、8月20日から別居を開始。裁判でも事実認定されたようにこれは「偽装別居」であり、家族3人は毎日のように夕食を食べ、家族団らんを続けていた。
そう、聖子さんの離婚意思はまさに〝偽装〟なのである。
だが、大輔さんは同年10月、大阪の配送センターへの配転が命じられた。11月7日、大輔さんは妻子をロンドンに残し、後ろ髪を引かれるような思いで日本へ帰国した。
この理不尽な配転に対し、大輔さんはミツカンを相手取って裁判を起こす。翌16年3月、配転無効の仮処分が出てミツカンは敗訴している。
それでも、大輔さんと聖子さん、長男の縁は切れなかった。その証拠に、大輔さんは、2016年1月18日から23日までの間、秘かにロンドンの自宅を訪れて家族3人の時間を過ごしている。
さらに2016年8月19日、大輔さんの誕生日に聖子さんは、「仲良し家族 大好き」というメッセージとともに家族3人の写真を大輔さんに送っている。だが、この投稿を最後に音信不通になった――。