養子は中埜家の伝統か?
判決で堀田秀一裁判官は《被告聖子は中埜家に生まれ育ち、中埜家の家風や価値観を大事にする考えを有しており》、《子が生まれた場合、亡和英及び被告美和との間で養子縁組をする可能性があることを説明していた》と指摘したが、判決後、大輔さんはこう反論している。
「生後4日の息子を養子に差し出すことなど、私は一切説明を受けていません。私が聞かされていたのは、息子が20歳前後になってから、税金対策で養子縁組をする可能性があるということだけです。
子が成人であれば〝親子引き離し〟ではなく全く問題はない。
一方、生後4日の息子との養子を強要されることは、親子引き離しの危機であり、大問題です。裁判官はこの重要事実を無視している」
大輔さんの言う通り、堀田裁判官はこの重要事実を無視している。
昨年8月に行われた本人尋問で大輔さんの代理人である河合弘之弁護士は和英氏にこう質問した。
――生後すぐに子どもを養子にするなんて大輔さんは聞いていませんよ。裕子(長女)さんも聖子さんも、養子になったのは19歳と20歳。大人になってからですよね。
「はい。でも、早く養子になれば、次の当主候補として祖父に認めてもらったと、後々、孫の励みになると思ったからです」
――でも、8代目のあなたは、養子にならなかったですよね。
「なっていないです。そのときの当主の考えによっていろいろですから」
――2代目から7代目までで、生後すぐに養子になった人はいるんですか?
「……いません」
――では、養子は〝中埜家の伝統〟ではないじゃないですか!!
「……」
養子縁組を強要した中埜家
長男が生まれて4日後の2014年9月、ロンドンの産後ケア施設にあらわれた和英・美和氏(小島淳常務も同席)。2人は孫の顔を見るのもそこそこに、書類を広げ、大輔さんに迫った。
「産まれてきた子どものことだけど、先ずはこの書類にサインをしろ」
書類は「養子縁組届出書」。養父母の欄には和英氏と美和氏の名前がすでに記されていた。つまり、生後間もない息子を祖父母である和英・美和氏の養子にすることを、大輔さんと聖子さんに強要したのだ。
「お前! 何者だと思ってるんだお前!! この場でサインをしなければ片道切符で日本の配送センターに飛ばす」
何度も和英氏に怒鳴られたが、大輔さんは繰り返しこう伝えた。
「夫婦で話し合う必要があるのでこの場でのサインは勘弁していただきたい」
大輔さんが養子縁組書類にすぐサインしなかったことに関して、美和氏は聖子さんにメールを送っている。
「ダダ(和英)が優しくてよかったね。先代だったらママ(美和)は即座に子供と一緒に家を出されたし、ダダも殴られる位じゃすまされないし、もちろん、跡を継ぐにはママと別れることが絶対条件だと思います。
もちろん西野の家(美和の実家)はそんな家の思想の根本を崩して戻されたような恥さらしは敷居を跨がせないと確信しています。特にママのお父さんは。あの言葉はママに取って子供の将来を決定してしまう言葉でただ背筋が凍る思いでした」
大輔さんの言葉のどこが「背筋が凍る」のか。また、「殴られる位じゃすまされない」を強要と言わず、何を強要というのだろうか。
その日の夜、大輔さんは聖子さんにこう提案している。
「家族3人で幸せに暮らすことが一番大切。義父母に服従したり、ミツカンの仕事に執着したりする必要はないと思う」
だが、聖子さんは泣きながら大輔さんに懇願している。
「両親は大輔さんを家から追い出すつもりはない。私が(両親と大輔さんの)間に入って家族を守る。お願いだから養子縁組の書類を両親に提出してほしい」