中国の国民には、様々な問題の解決を地元政府などに直接訴える「陳情」の権利が認められている。地方政府の庁舎などにはきちんと陳情専門の窓口があり、嘆願書を携えた人々が列を成していることも多い。
だが実際は、雑多で大量の個人の訴えを役所が一つひとつ解決してくれるわけではない。そんな状況にしびれを切らし、上級機関である省の政府や北京の中央政府に直訴しようとしたところで、地元の警察に身柄を拘束され、その声を封じ込まれてしまうことはよくある。
中国では、革命の貢献者や経済的に成功を遂げた者の子供たちを「紅二代」「富二代」などと呼ぶが、親の代から陳情(中国語で上訪)を続けざるを得ない人たちを「訪二代」などと呼ぶようになった冷酷な現実がある。
そんな無力な陳情システムに代わって人々が多用し始めたのが、SNSだ。中国ではネット上の言論も常に検閲されているが、検閲に引っかからなければ、バズって世論の圧力が味方につく可能性もある。なにより、直接の加害者や担当部門による“不都合な事実”のもみ消しが難しくなる。そのなかで実名告発は、「根拠のない噂」などと片付けられないために有効だ。
中国で権力を持つ者に楯突くのは危険だ。実名を晒せば報復される恐れもあるし、公然と体制に反旗を翻したと見做される可能性さえある。
だが、もっと危険なのは、その人の存在が消されてしまうことだ。中国当局は、“不都合な人物”を“消す”手段を選ばない。騒乱挑発などの容疑をかけて身柄を拘束したり、長期間にわたる監視や監禁をしたりもする。
告発者は実名を世間に晒し、人々の記憶と記録に残すことで、消されないための、あるいは消された時に身を守るための手段として期待する。
5年間SNSに自らの姿を晒し訴えた妻
私が過去に取材したこんな例がある。
人権派弁護士の王全璋さんは、突然、当局に身柄を拘束された。その妻、李文足さんは、夫が身柄拘束されてから、国家政権転覆罪で有罪判決を受け、さらに刑期を終えて出所するまでの5年間、SNSに自らの姿を晒し、夫が当局に不当な弾圧を受けていると訴え続けた。彼女自身も当局に監視されたり、行動の自由を奪われたりする危険な奮闘だった。
出所後に取材に応じた夫の王全璋さんは看守所の所長から、「あなたは看守所のパンダだ。あなたの事件は注目度も高く影響が大きいから、私たちの任務はあなたの安全を守ることだ」と言われたと教えてくれた。
「私の事件がより注目されたため、看守所の人たちは、私の身の回りや健康の状態に気を配ってくれました。私個人の体験からすれば、外部からの注目度が高ければ高いほど、監禁された人はより安全になります」
それは、妻が声を上げ続けたからだった。
理不尽に立ち向かおうとする人々
プロテニス選手の彭帥さんが、元最高指導部の張高麗氏から性的関係を迫られたなどと暴露したあとの末を見ても明らかだ。このスキャンダルがSNSで拡散すると、彭帥さんの消息が途絶えた。すると、世界のアスリートらから彼女の身を案じる声が上がり、北京冬季五輪の開催が迫るなか、IOC・国際オリンピック委員会のバッハ会長がオンラインで彼女と会談し、身の安全を確認した。圧倒的な知名度をもつ彭帥さんの実名の強みが生きた例だろう。ただ北京五輪が終わったあと、彼女の動静はほとんど伝わってこない。そうしたなかで、AP通信がバッハ会長の話として、2022年5月に彭帥さんがIOCのアスリート委員会のメンバーと電話で、五輪後としては“2回目か3回目”のコンタクトを取ったと報じた。テニストーナメントの観戦などのためにヨーロッパを訪問したい意向を示したという。ただバッハ会長は、中国の厳しいコロナ対策が渡航を困難にするだろうとの見解を示しており、彭帥さんが国外で自由に発言するのを許されるような境遇にはないことは想像できる。
中国の社会において、国民一人ひとりの存在は、日本や欧米に比べ軽い。それは、習近平政権が固執したゼロコロナ政策を見ても分かりやすい。社会全体の秩序や安定を守るためには、そこに生きる個人の生活の犠牲は厭わないのだ。
その社会にありながら、実名告発という個の存在を拠り所にして理不尽に立ち向かおうとする人々が増えている。それは、三歩進んで二歩下がるかのような遅々とした変化(いや、もしかしたら一歩進んで二歩下がっているだけ)かもしれないが、人々の意識が個を尊重する社会に向かう兆しに見えなくもない。