沖縄で吹き荒れた反自衛隊の嵐
中でも「排斥」の歴史を背負わされたのは、沖縄へ配備された自衛官たちだった。
再建された戦後の軍隊が本土で二〇年間、直面してきた三つの問題――自衛隊を違法とみなす社会、信頼を失った旧軍の再来とみられること、米軍の代わりとみられること――が、沖縄では多少変化しながら、かつてないほど頑強に自衛隊と隊員の前に立ちはだかった。
沖縄では自衛隊に対する敵意のパーフェクトストームが巻き起こった。
本書にこうある通り、沖縄での反自衛隊運動は、今の反基地運動の比ではないほど激しいものだった。中でもひどいのは、軍事嫌悪や、政府への批判という形でではなく、自衛官個人や自衛官の家族を標的にした、ほとんど「いじめ」のような扱いだった。
例えば沖縄に住む自衛官の住民登録の拒否。それによって免許証の発行も、自衛官の子供が学校に入学することも出来なくなった。住民登録を何とか経たのちも、自衛官の子供が高校に入学させてもらえなかった事例があったと紹介されている。
あるいは自治体が、20歳を迎えた自衛官の、成人式への出席を認めなかった。特に制服で現れる自衛官に対しては反対が強く、自治体が折れて認めても、活動家が会場で抗議した、という。
さらには、これは沖縄に限らないが、国公立、私立を問わず、防衛大学出身者や自衛官を大学に入学させないだけでなく、大学構内にさえ立ち入らせない、という措置を取った。
現在、沖縄住民の側に立ち、強者である日本政府や米軍を非難している沖縄タイムズや琉球新報は、当時この「自衛隊いじめ」に加担していた。
もちろん、旧軍と沖縄住民の間の信頼を損なう歴史的事実、あるいは軍隊に対するよからぬ記憶があったことは確かだろうが、だからと言って戦後の自衛官個人、さらには家族に対して、こうした振る舞いをすることは許されない。
保守派にも左派にも言えることだが、沖縄の歴史や記憶に寄り添いながら、自衛官を尊重することはそう難しくはないはずだ。なぜそれができないのか、理解に苦しむ。