日本の名だたる企業の連合体だけあって、契約通り2012年11月に着工して、予定通り2013年11月に発電を開始した。
しっかりとした計画と条件を満たした企業によって着実に完成を迎えた夢洲メガソーラーと比較すると、咲洲メガソーラーは万事が「当たり前」でない、滅茶苦茶な展開となった。
③橋下徹市長誕生後に突然浮上した「咲洲メガソーラー」
2011年11月27日に行われた市長選挙に勝利した橋下徹氏は、12月19日に正式に市長に就任。市長が橋下徹氏に代わると、平松市長時代には構想すらなかった「咲洲メガソーラー」計画が突然生まれ、驚異的なスピードで具体化し、異常な経緯で入札→落札→契約成立を迎える。
2012年11月16日 公募開始
2012年12月3日 公募締め切り
2012年12月05日 入札→落札
2012年12月26日 落札発表→成約
周到に準備されしっかりと手続きを踏んだ夢洲メガソーラーと比較すると、咲洲メガソーラーは「前代未聞」「拙速」のオンパレード。異常な手続きとあり得ない日程でことが進んだ。
まず、実施要項配布開始から締め切りまで18日しかなかったこと。2メガワットクラスの太陽光発電事業であれば、2012年当時のコストは安く見積もっても5〜6.5億円程度。企業としては、入札に参加するかどうか検討する際にチェックしなければならない事項は無数にある。
・太陽光パネルを期日までに調達できるか
・資金は足りているか
・採算は取れるか
・予定地で施工する際に技術的問題はないか
実施要項公開から2週間余りでは、現地を確認した上で事業計画案と資金計画案を立て、社内で決裁をすることなど、会社の規模に関わらずほとんど不可能だ。
大阪市と周辺で太陽光ビジネスを手掛ける複数の事業者を取材したところ、「11月16日に実施要項をもらって12月3日までに参加を決断して入札に必要な資料を揃えることなど絶対に不可能」と口を揃えた。
しかも大阪市と周辺の企業にもかかわらず、2012年に咲洲でメガソーラーの公募が行われたことはおろか、咲洲の事業を上海電力が担っていることすら知らなかったという。
大阪市はなぜ広く広報して、メガソーラー事業の実力と実績のある企業を募ろうとしなかったのか。特定の企業だけに耳打ちし落札させる、大阪市が仕組んだ「出来レース」だったからだろうか。