憲法改正にタブーはない
私が政治家を志した最大の動機は共産主義化から日本の自由と民主主義を守ることだった。今日、ソ連の脅威はなくなった。では、日本の安全保障が安泰かというと、そうではない。冷戦の終結以後、多極化した世界の各地で紛争が生じているが、イデオロギーとは別の次元の対立による武力衝突が起こるようになった。ますます安 全保障の重要性は増している。 そのことを含めて、現在、われわれがしっかりと考えておかなければならないのは憲法だ。
国民の安全を守ることは政治に課せられた最大の役割の一つだが、国家の安全保障は 「主権」という概念に基づいて成り立つ。 主権は国家統治の最高権力であり、その国の意思以外のもの――たとえば、外国の意思に支配されず、主権下にある領土、領空、領海、その他を外国に侵されてはならないとする。したがって、主権は排他的であり、こうした「主権の概念」は世界の共通基 本認識となっている。
この主権のあり方を「主権者=主権が存する国民」みんなで約束した基本法が憲法だ。 つまり、憲法の枠組みの中で、主権は行使される。逆を言えば、憲法を超越して主権は成 立しない。だからこそ、憲法はわれわれが生きていく上で最も大事な法律であり、みんなで守らなければならないということになる。
「わが国ではこと憲法に関する議論は戦後一貫して続いてきた。それは憲法改正の是非をめぐる議論であるとも言える。明治憲法においても改正手続きが定められていたが、一方で神聖にして侵すべからずという文言もあった。要するに、遵守しなければならないが、 変える可能性も想定の内にはあった。日本国憲法も同じで、憲法を最高法規と記し、改正に関する条文もある。
しかし、戦後六十余年間、憲法を変えようと主張する改憲論と絶対 に改正してはならないと主張する護憲論が対立を続け、憲法改正どころか憲法改正の議論もしてはならないとするタブーが強かった。
改正すべき点
そもそも日本国憲法は、戦後の短い期間に、占領軍の意向を受けて起草され、成立したという経緯がある。
つまり、占領政策の一環として「憲法」なるものが存在した。そこを問題にして、「主権を行使できなかった占領期につくられた憲法は正当性がない」と指摘する人もいる。確かに理屈としてはそうかもしれない。しかし、私は単純に「押しつけ憲法=だから悪い」とは必ずしも思わない。
仮にアメリカから押しつけられた憲法であっても、日本にとって内容がよければ、独立した後でもそれはいい憲法と言えないだろうか。われわれの生きている時代、あるいは将 来に向かってプラスであるならば、憲法は変える必要がない。
しかし、プラスにならない個所や不具合が出てくれば、大いに議論し、憲法を現実に合うようないい方向に変えていく必要はあると思う。「日本国憲法はすばらしいから、絶対に変えてはならず、改正を議論することも許されない」という主張はそもそもがおかしい。憲法とわれわれが常に緊張関係にあってこそ、最高法規としての位置づけが保ち得るのではないか。
そういう視点で憲法を見直したとき、今の憲法にも、象徴天皇、主権在民、基本的人権 の尊重、平和主義、議院内閣制、三権分立、健康で文化的な生活を営む権利等々、現在から将来にわたっても重要な条文がたくさんあり、これらは変える必要がない。しかし、他に改正すべき点がいくつかある――。
※月刊『Hanada』2022年5月号では、中川昭一議員が綴った渾身の「日本核武装論と憲法改正」を一挙掲載。↓