産業遺産情報センターにユネスコ「強い遺憾」
長崎市に属する端島、いわゆる軍艦島が、他の遺産群とともに「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコの世界文化遺産に登録されたのは、2015年7月だった。
それから6年、ユネスコの世界遺産委員会は2021年7月22日、世界文化遺産登録後に日本政府によって新宿区に設置された「産業遺産情報センター」における朝鮮人労働者の境遇に関する説明が不十分だとして、「強い遺憾」を盛り込んだ決議を採択した。
決議に付されたユネスコとイコモス(国際記念物遺跡会議)の合同調査報告書は、産業遺産情報センターは世界遺産の構成資産から離れた場所にあり、歴史を示す展示に乏しいと指摘。
館内にある端島住民の証言パネル展示についても、労働を強制された人はいなかったという印象を与えるものだとして、現在の内容では不十分だと評価。犠牲者(朝鮮人労働者)の悲惨な境遇を記憶に留める説明が十分になされるよう「より暗い側面を含めた多様な証言」を加えるよう求めている。
これに対し、元島民の方々は、朝鮮半島出身の人たちとも仲良くやってきた、なぜユネスコは元島民の話を聞かず、無関係な活動家や韓国の話だけを聞くのかと、怒り心頭に発しているとのことである。
しかし、実はこれは起こるべくして起こったことなのである。6年前に外務省が埋め込んだ時限爆弾が破裂したに過ぎない。
どういうことか。
そもそも、明治日本の産業革命遺産とは何だったのか。ウィキペディアには次のようにある。
「2015年の第39回世界遺産委員会でUNESCOの世界遺産リストに登録された日本の世界遺産の一つであり、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県(23箇所)に点在する。西洋から非西洋世界への技術移転と日本の伝統文化を融合させ、1850年代から1910年(幕末 ―明治時代)までに急速な発展をとげた炭鉱、鉄鋼業、造船業に関する文化遺産」
この世界遺産登録の画期的なところは、複数の遺産をひとつのカテゴリーに入れ込んで登録に成功したことだ。つまり、単体では世界遺産に値しなくても、23箇所全体でひとつの世界遺産を構成するという考え方である。
幕末から日本は高度に工業化された西洋諸国の圧倒的な力に接し、植民地化を防ぐために懸命に努力する。西洋の技術を見よう見まねで習得し、江戸時代に培った伝統技術を融合させて急速に近代工業を発展させる。その必死の努力の痕跡を集めたものが、明治産業遺産群である。
韓国政府からの執拗な妨害と日本の妥協案
東京・新宿の「産業遺産情報センター」に行くと、生々しい歴史を学ぶことができる。しかし、優れた着想だったとはいえ、登録までの道のりは平坦ではなかった。いつものことながら、韓国政府からの執拗な妨害があった。
韓国の尹炳世外交部長官は、構成資産のうち、長崎造船所や端島炭坑など7つの施設で第2次世界大戦中に多くの朝鮮人が徴用され、多くの犠牲者を出したという理由で、全23施設のうち7施設の申請撤回を求めた。また、中国外交部も韓国の働きかけに応じて、登録反対を表明した。
これに対する当時の岸田外相の反論は、「この遺産群の対象年代は1850年代から1910年であり、徴用が行われた年代とは異なる」というものだった。つまり、強制労働自体は否定しなかったわけだ。
2015年6月21日、尹外交部長官は訪日して岸田外相と会談を行うのだが、また日本はまんまと騙される。韓国も「百済歴史地区」の世界遺産登録を目指しているので、お互いに協力しようと合意する。
日本は約束を守って応援し、韓国の申請は無事に全会一致で可決されるのだが、日本の番になって案の定、韓国が約束を反故にして難癖をつけてきた。遺産群の描写に「強制労働」(forced labor)という表現を入れろというのである。
これでは卓袱台返しだ。日本側は反発するが、外務省が示した妥協案は噴飯ものであった。表現を和らげて、「労働を強いられた」 (forced to work)で合意したというのである。
私は当時、このニュースを聞いて耳を疑った。それら2つは全く同じ意味だからである。名詞形で表現するか、動詞形で表現するかの違いでしかない。難関大学を出て難関国家試験に合格したエリートの英語力と交渉力には、呆れかえるばかりだ。
当然ながら海外メディアは「日本が強制労働を認めて世界遺産登録を獲得した」と報じた。