現代のリヴァイアサン
絶対不可侵の神聖祭壇に祀り上げられた恐るべき現代のリヴァイアサン。矢も立たず、槍も通すこと能はざる怪物。それが「一票の格差」である。
衆参両院の議員選挙に於ける、選挙区区割りに起因する所謂「一票の格差」は憲法違反であるとの訴訟が提起され、最高裁は累次に亙り、これを憲法違反であると判示して来た(最高裁判例初出は昭和51年4月)。
「一票の格差」は憲法違反である。直ちに是正されねばならぬ。「すべて國民は法の下に平等」である。従つて、「一票の格差」は許されざる「差別」である。
憲法の振り翳すこの威光の前に、何人も逆らへない。この異様な言語空間が、当代の日本に現出してゐる。
本稿は、ここに見られる司法(最高裁)の不遜と政治の衰弱、言論界の無気力(若しくは不見識)に警鐘を鳴らし、一石を投ぜんとするものである。
「一票の格差」を違憲とする憲法条文は何処に在るか
代議員を選出する選挙で、選挙区によつて一票の重みに不均衡があれば、なぜそれは憲法違反なのか。その法源は何処に、憲法の第何条に存するか、そして其処に示された解釈は果たして正しいのか。我々はこの基本に立ち戻つて考へなければならない。
[憲法第14条 すべて國民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない]
これが、「一票の格差」を「憲法違反」と断ずる根拠である。
然し、ただこれだけの条文から、各選挙区によつて異なる人口と議員定数の不均衡を「憲法違反の格差」と決めつける判示は果たして妥当か(因みに、判決も総務省文書も「格差」と謂はず、「較差」の語を用ゐてゐる。「較差」が正しい。この事案は「比較上の差」であつて「格の差」ではない。マスコミが「格差」と称するのは、心底に悪意を秘めた意図的誤用か若しくは不見識であるが、本稿では皮肉を込めて慣用に従ふ)。
立法府の判断(法律)が、司法府により最終的に否定された事例を寡聞にして私はほとんど知らない。
例へば相続税、所得税などの課税措置に於いては、恰(あたか)も「差別が正義であるかの如く」、資産家や高額所得者は、目をくやうな累進性に依つて歴然と差別されてゐるのが現実である。
その他、サラリーマンの源泉徴収と自営業者の申告制度、生理休暇その他、勤務条件に於ける女性への特別措置など、「法の下の平等」に背馳(はいち)する法令に事欠かぬが、これを最高裁が憲法違反と判示した事例は一件も無い。これが第14条の一般則適用の実態である。