総選挙に突入したが、甘利明自民党幹事長の発言は本質を突いている。「自由民主主義の政権と、共産主義が初めて入る政権のどちらを選ぶかの政権選択だ」と。
共産党は、初めて政権参加の可能性を秘めた選挙と見て、候補者調整で立憲民主党に大幅に譲った。共産党が目標とする比例区850万票獲得を捨てた背水の陣だ。立憲の枝野幸男代表は連立政権に共産党を入れることに言葉を濁しているが、閣外協力を否定していない。共産党はこの選挙に賭けたと見て良いだろう。それまで選挙協力は「相互的、互恵的」でなければならないと繰り返していたのが、一変したのだ。
なぜか。岸田新政権への国民の支持率がいまひとつなので、政権交代へ立憲を引きずり込むために、カードを切ったと見る。
今も暴力革命否定せず
伏線はいろいろある。来年は党創立100年。いつまでも伸び悩んでいられない。例によって、策士、小沢一郎氏らの工作もあるかもしれない。
共産党は、昨年1月の党大会で、それまで友党だった中国共産党への好意的見方を綱領から削除した。国民の反中感情が強いからだ。年末には、公安調査庁の破壊活動防止法調査対象団体であることに「抗議」し、国民民主党まで巻き込んで共闘した。
今年は、共産党の持論である「敵の出方」論を否定しだした。そんなことは今の共産党とは無関係、と。ウソを言ってはいけない。戦後の共産党をリードしてきた宮本顕治、不破哲三の両氏は議会制民主主義を否定し、1961年綱領の策定に当たって春日庄次郎氏ら議会主義派を追い出した。社会党の議会主義もこっぴどく批判してきた。
暴力革命か議会での政権獲得かは「敵の出方」次第、その具体策はレーニンも述べているように文書に書くものでない、と宮本氏は党の会議で述べている(1958年1月4日アカハタ)。不破氏はこれを敷衍(ふえん)し、「人民的議会主義」と言った。1967年の「4・29」論文はそれを詳述するものとして党員必読だ。
日米安保体制は破綻する
それが今年になって、志位和夫委員長は「敵の出方」など言ってないと言いだした。それを言うなら、宮本・不破路線は間違いだったと国民に謝罪すべきだ。これまでは、手の内を見せるなでやってきた。手の内を見せれば破防法が待ち構えている。現在、共産党が右翼団体や過激派と一緒に破防法の調査対象団体になっているのは、「敵の出方」論を捨てていないという公安調査庁の判断による。共産党はこの壁を崩そうと必死だ。
立憲を軸とする連立政権が出来れば、共産党の協力が閣内か閣外かを問わず、まず破防法の適用解除、そして同法の廃止、公安調査庁の改廃へと進むのは目に見えている。立憲は応じるだろう。共産党が政権に入れば、日米安保体制は持つまい。平和安全法制廃止、辺野古基地建設中止は必至だ。野党共闘の合意文書にそう明記している。こんな危ない政権取りを許してはならない。万一に備えるのが政治だ、と岸田文雄首相も言うが、忍び寄る共産党の尻尾をしっかり押さえておかないと危ない。(2021.10.18 国家基本問題研究所「今週の直言」より転載)