五輪中止を叫ぶメディアや、中止論を煽る報道の危うさにも言及しておきたい。
「安全安心の具体案もなく五輪開催に進むのは、戦争に突入した当時と同じ」 「一億火の玉の再現だ」との論調も目立つ。だが、組織委が懸命に準備を重ねる安全対策に目を向けず、不安を盾に中止を叫ぶ全体論こそ危険ではないだろうか?
1940年の東京五輪が返上に至ったのは、軍部の思惑だった。そして日本は戦争に突入した。これを現在の開催努力と重ねるのはむしろ逆だし、矛盾がある。
詳しい情報も得ず、精査もせず、不安や怒りから反対を叫ぶ世論こそ、そしてそんな世論を煽る意図的なメディアこそ危うい。この矛先が東京五輪でなく、軍拡や戦争容認であったらと思うと背筋が凍りつく。いまの日本は、不安や怒りで世論が形成され、意図的なメディアやネットの情報に煽られて、多くの国民がひとつの考えに誘導される脆弱な国になっていると言えないだろうか。
最近の報道から挙げれば、「野球の最終予選に台湾、中国、オーストラリアが参加を取りやめた」というニュースがあった。この報を受けて、「これで世界一を決める大会と言えるのか」との批判が展開された。
オーストラリアや台湾の不参加は残念。だが、「東京五輪の野球に出場できるのはわずか6カ国。すでに5つの枠は決まっていて、残りひとつを世界最終予選で争う」という事実はあまり報じられない。三度金メダルを獲得しているキューバさえ、戦力低下もあって予選敗退した狭き門。残り一枠を争うのはドミニカ、ベネズエラ、オランダの3カ国だ。
また、「体操の最終予選にカナダが参加を取りやめた」 「最終予選を兼ねてナイジェリアで開催される予定だった陸上のアフリカ選手権が中止になった」というニュース。これらも、「東京五輪、大丈夫か」「有力選手の出場が阻まれている」といった雰囲気を醸している。
だがこのニュースに添えて、「でもご安心ください。カナダの女子体操チームはすでに代表権を獲得しています。男子団体は残念ながらリオ五輪にも出場していません。2019世界体操でも、男子は個人総合で43位が最高です」といった補足はない。
少し前には、呆れるような報道もあった。全国医師ユニオンが五輪中止を求める記者会見を開いた。これをテレビ局も取り上げ、ネットではトップ級の扱いで拡散した。かなりのインパクトを感じたが、調べてみると、この団体は「全国」とは名乗りつつ、130人程度の会員しかいない組織だった。反対論を煽るために、あらゆる事象を誇大に伝える報道姿勢がこのまま許されてよいのだろうか。
先日、橋本聖子会長に取材したとき、オリンピックの意義のひとつをこう語ってくれた。 「国連でオリンピック休戦が決議され、東京オリンピックが始まる一週間前からパラリンピックの一週間後まで、世界186カ国が休戦に賛同しています。こんなことができるのはオリンピック、パラリンピックだけです。過去には、オリンピック休戦の期間中に終戦に至った例もあります。戦争の続く国や地域の人々が、59日間ではありますが戦争の不安から解消され、束の間でも平和を味わうことができます」
東京五輪が中止されれば、休戦決議も無効になるだろう。その失望の深さを、反対を叫ぶ日本人は少しでも考えたことがあるだろうか? また、オリンピック休戦の意義を日本のメディアはきちんと伝えているだろうか。
高校野球は朝日の拡販事業
朝日新聞は、言うまでもなく夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)の主催者だ。
東京五輪に関して「国民の命を犠牲にするのか」と叫ぶ一方で、猛暑の甲子園は強行の方針を崩していない。昨年はコロナ禍で地方大会、本大会とも中止になった。代わりに親善交流大会が行われ、春のセンバツに出場予定だった高校が甲子園で一試合ずつ戦った。「これもいいね」という声が私の周りで数多く聞こえた。高校野球は「負けたら終わり」が当然だが、昨夏は半数のチームが勝って終わった。また、甲子園で戦えなかった高校が全国各地で誘い合い、親善試合を行った。
こうした新しい潮流は、教育としての高校野球のあるべき方向を示していると思われた。ところが、朝日新聞はその評価も検証も新しい方向性の模索もほとんど行わず、今年はまた従来どおりの方式で行うと発表。高校野球改革の好機を逃す横暴な姿勢。教育とは名ばかりの拡販事業と非難されて反論できるのだろうか。
私は一昨夏、大会中に甲子園を訪ね、高野連と甲子園球場が講じた猛暑対策をつぶさに見せてもらった。それは涙ぐましい努力で、頭が下がった。しかし、主催者の朝日新聞が真夏から涼しい季節への変更を決めれば、もっと本質的に解決できるのだ。この構図においては、朝日新聞はまったくIOCの立場と重なる。しかも、柔軟に変革を受け容れ始めたIOCと違って、朝日新聞はもっと硬い岩のまま不変だ。
多くの国民がほとんど評価してくれないが、組織委と政府、東京都が連携する「コロナ対策会議」ではかなり厳格なルールを定め、徹底する準備が進められている。来日する選手や関係者に通知された『プレイブック』に定められた行動規範はかなり厳しい。すでに第3版が発行され、さらに現実的見地から改訂を重ねるという。第2版の時点でも、東京都民より遥かに厳しい制約が課せられていた。選手たちは通常ならありえない行動制限に同意し、東京五輪参加を決断することになる。
ところが、メディアや世論は「抜け穴だらけ」 「どうせ守られないだろ」と決めつけ、組織委の懸命の努力を評価しない。この一年余、政府が講じた以上の具体的で厳格な対策さえ嘲笑する。制限を覚悟して来日する選手・関係者に感謝し、拍手で受け止める誠意さえ、いま日本国民は失っている。とても哀しい国に成り下がっている。動きを止めろと叫ぶことで、未来を展望する思考まで停止している。その現状こそが、憂うべき最大の問題点ではないか。(初出:月刊『Hanada』2021年8月号)
1956年、新潟県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。マガジンハウスで「ポパイ」のスポーツページを担当。筑波大学体育研究室で研究生となったあと、文藝春秋で「Sports Graphic Number」編集部を経て、84年、独立。『「野球」の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』(集英社新書)など著書多数。