以上、「日本新聞」のなかから、特に印象的な紙面をいくつか紹介した。
多くの抑留者は共産主義の欺瞞を見抜き、あるいは肌で感じ、ソ連側の洗脳教育に感化されることはなかった。また、「早く帰国するため」に共産主義に染まったフリをした者たちもいた。「抑留者=共産主義者」でないことは重ねて留意しておきたい。
しかし、「日本新聞」を教材として行われた苛烈な思想教育のなかで、共産主義に心酔してしまった者たちも少なくなかった。引き揚げ時、抑留者たちの乗った船の多くは舞鶴港に到着したが、彼らのなかに、 「天皇島上陸!」などと叫んだ者たちがいたことは、出迎えの人々を驚かせた。このような光景を生んだ背景には「日本新聞」があったのである。
そして、そんな抑留者たちの存在は、戦後の日本社会にまで影響を及ぼすことになった。 「日本新聞」の日本側初代編集責任者だった宗像創は、1949年の秋に帰国したが、その後、日本共産党に入党。同党の機関紙「赤旗」の編集に従事した。
無論、抑留者の引き揚げとともに「日本新聞」は廃刊となった。しかし、驚嘆すべきは、令和の時代になっても「日本新聞」のごとき主張を繰り返す人々がいまだに存在するということである。「日本新聞」の発行元であったソ連も崩壊してすでに久しいが、その「亡霊」はいまも消えていない。「日本新聞」の末裔のごときメディアや政治家、学者、評論家らは、いまも各方面に巣食ったまま一定の力を有している。彼らがその哀しき洗脳から解かれる日は来ないのであろうか。(初出:月刊『Hanada』2021年5月号)
1973年、愛知県生まれ。ノンフィクション作家。大磯町立図書館協議会委員長。主な著作に『ペリリュー玉砕』『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』『永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」』(いずれも文春新書)など。『昭和十七年の夏 幻の甲子園』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。【公式ツイッター】https://twitter.com/dig_nonfiction