よくある夫婦喧嘩もすべてDV?
2014年、ハーグ条約(国際的な子どもの奪取の民事上の側面に関する条約)に日本も加盟。夫のDVから逃げてきた女性を元の国に戻すのはおかしいといった反対意見も根強くあったが、DVに関しては除外するという項目を国内法に明記したことによって、すべての政党がこの条約に賛成をした。
ハーグ条約の狙いは「連れ去り勝ちを認めない」ということであり、まずは子どもを元の居住国に戻してから裁判をしましょうということなのだが、残念ながら日本では実効性に欠け、現実的に元の居住国に戻すようなことは行われない。
しかも連れ去られたら最後、子どもがどこに住んでいるのかも教えられなければ、子どもに会うチャンスすら認められない。これでは、日本が「子どもの拉致国家」と言われても仕方がないだろう。
DVは絶対に許してはいけないし、DVの被害者を保護することは当然のことだが、問題はこのDVという言葉にある。いまはDVという言葉が独り歩きしているが、DVとはなにか、もっと明確に定義づける必要がある。
たとえば、最近はモラハラがDVと言われることも多い。「きつい言い方をされた」「威圧的な態度を取られた」という理由でDVとして扱われるケースが多々あるが、しかし、本当にそれで良いものだろうか。
ただでさえ、現状においてDVの境界線は曖昧であり、よくある夫婦喧嘩も言い方次第ですべてDVとして認められかねない。夫婦円満でないがゆえに別れるのだから、夫婦間で言い争いが起きるのはむしろ当然だ。第三者の目が行き届かない家庭内においては、あらゆる意味において「DVをしていない」という証明は悪魔の証明以上に困難である。
虚偽のDVなど自分には関係ないと思っている男性も多いが、その被害を受ける可能性がすべての男性に存在することは知っておくべきだ。
さらに、離婚したからといって子どもにもう一方の親と会わせなくていいというのは、親と子の双方にとって極めて残酷である。父親のほうが連れ去るケースもあるが、多くは女性だ。
過去の関係をリセットしたいという女性の気持ちも理解できる。しかし、このままでいいわけはないだろう。「日本では養育費の支払いが少ない、これが問題だ」などと非難される方もいるが、実際のところは、離婚をすれば縁が切れる、相手の顔も見なくて済む、だから養育費も求めない、というケースは極めて多い。
言い換えると、相手の権利をすべて奪える現状の単独親権の制度では、子どもは私が育てるからあなたは一切かかわらないでほしいということになる。だが、そこにはあまりに子どもの視点が欠けていやしないだろうか。
共同親権に変わればどうなるのかといえば、いまと違って、離婚しても相手との関係は切れない。切れないことを前提に、ではどうすればうまく子育てをしていくことができるのか、このような発想に立てば、そもそも養育費が要求すらされないという問題は解消していくことになる。原則を変えれば、子育ての仕方も変わるのである。
共同親権に反対する面々
日本で共同親権の導入に向けた議論は進んでいるのか、いないのか。
残念ながら、ほとんど進んでいない。
どこの党が賛成で、どこの党が反対か。そのような状況ではなく、党内で意見が分かれているというのが現状だ。
では、誰が反対をしているのか。
多くは女性議員である(もちろん、賛成してくれる女性議員もいるが)。
「か弱い女性は守らなければならない」
それ自体を否定するつもりはないが、女性やその支援者からの訴えだけに耳を傾け、他方からの話を聞かないまま「男はひどい」という見方に偏り反対されてしまうと、制度としての議論がなかなか深まらない。
加えて、議員立法では各党、各会派で賛成を得なければならないので、なかなか事が進まないというのが現状である。逆に、立憲民主党であっても賛成する議員は少なからずいるので、イデオロギーの壁は思った以上に高くない。
過去には紆余曲折がありながらも、「親子断絶防止法案」については様々な政党に所属する議員が努力を重ねて各党賛成になった。しかし残念ながら、民主党が解党したことによって各党の議論がゼロベースに戻ってしまったという苦い過去もある。いくら話がまとまっても、野党がバラバラになる、つまり党の名前が変わるたびに議論はゼロに戻ってしまう。
ちなみに、共同親権の導入に対しては、日弁連、特にそのなかでも男女共同参画を推進する弁護士グループが大反対をしている。彼らは、男女共同というよりも女性の権利ばかりを主張しているという印象が強い。
実は、世のなかには男性だけではなく、子どもを奪われた女性も少なからずいる。でも彼らはなぜか、その女性たちにはシンパシーを示さない。男性が悪い、女性を守るためには単独親権しかない、といった不毛な論を展開している。