パラダイム転換の「新冷戦」
自由主義世界のジレンマは、自由を否定する全体主義にさえ、その自由を与えざるを得ないことにある。中国共産党はその弱みにつけ込んで、自由で開かれた国に狙いをつけては「目に見えない侵略」を仕掛けてくる。満面の笑みと惜しみない資金提供のウラに、腹黒い支配欲を忍ばせて。ところが、武漢ウイルスのパンデミック(世界的大流行)後は、感染源の弱みを見せまいとして一気に狂暴化する。
北米大陸で甚大な被害を受けた「白頭ワシ」が羽をバタつかせるうちに、中国大陸から「手負いの龍」が暴れ出したのだ。「戦狼外交」などとナショナリズムむき出しの習近平政権には、もはや自制が利かなくなった。
香港の民主派を力で締め上げ、ウイルスの原因調査を提起したオーストラリアに経済制裁を仕掛け、中印国境でインド側を攻撃しただけではない。日本の尖閣諸島の領海にたびたび侵入し、米欧の民主主義に対する批判を平然と繰り返す。相手が弱ければイジメ抜き、強ければ一歩引き下がる。中国共産党の戦略は、いまも歴代皇帝がやってきた領土拡張のやり方と少しも変わらない。
いま止めなければ、19世紀型の中華帝国主義と化した「手負いの龍」は増長するばかりだろう。ポンペオ国務長官による7月23日の演説は、「その自由への敵意は攻撃的である」と、全体主義に特有の行動を見ている。ポンペオ長官を含め4人の政府高官が、リレーのように熱戦の一歩手前に至る「冷戦」を明確に宣言した。中国をこうまでつけあがらせてしまった歴代政権による「関与政策」からの転換である。
先陣を切ったロバート・オブライエン大統領補佐官(国家安全保障担当)は、6月24日にアリゾナ州で個人を封殺する中国共産党の全体主義イデオロギーをえぐり出した。
次いで、クリス・レイFBI(連邦捜査局)長官が7月7日、ハドソン研究所でスパイによる「人類史上最大規模」の富の窃盗を非難し、ウイリアム・バー司法長官が7月16日、フォード博物館で中国の野心とその経済的な手口を暴いた。
最後を締めくくったポンペオ国務長官の演説を読みながら、アメリカがついに新たな危機に対応するパラダイムシフト(枠組み転換)に踏み切ったことを実感した。
7月23日にニクソン記念図書館で行われたポンペオ演説は、「自由の確保は私たちの時代の使命だ」と米中冷戦への尋常でない決意を語っている。その怒りは、「中国の共産主義を変えなければ、中国共産党が私たちを変えるだろう」と、あとに引けない危機感を大胆に述べていた。
外交ゲームの掟である「やられたら、やり返す」ではなく、米中外交の破綻を覚悟で「やられる前に、やる」と啖呵を切ったのだ。この最終演説の直前の7月21日に、在ヒューストンの中国総領事館をスパイ活動の拠点との理由で閉鎖要求をしている。万事をひそかに処理する諜報世界の枠を越え、事実を公表することで政権の決意を明確にした。これに対して中国は、在成都のアメリカ総領事館の閉鎖を要求して、掟の枠内で「やり返す」しかなかった。
さらにアメリカ財務省が、香港の林鄭月娥行政長官を含む中国共産党幹部ら計11人を制裁対象として公表したのも、アザー厚生長官が中国の猛烈な反対を押し切って訪台したのも、その延長上にあろう。
オブライエン大統領補佐官の先の演説では、この「やられる前に、やる」との強硬策の正当性を明示していた。補佐官は「中国共産党はマルクス・レーニン主義の組織であり、習近平総書記は自らをスターリンの後継者とみている」と述べて、独裁政権は決して許さないとの姿勢を鮮明にしていたのである。
ちなみに、トランプ政権は狡猾にもライトハイザー通商代表と劉鶴副首相の8月半ばの会談は認め、貿易戦争の「第一次合意」の実行を求めるための小さな窓は開けていた。中国との細いパイプだけは維持して譲歩を求めるなどと、万事に抜かりはない。
「浸透戦術モデル」の豪
筆者がこのポンペオ国務長官やレイFBI長官らの演説にいちいち頷くことができたのは、すでにクライブ・ハミルトン教授の『目に見えぬ侵略─中国のオーストラリア支配計画』(小社刊)が、それらの具体的な事例を実証していたからだ。
これまでオーストラリアで起きていたことは、中国共産党が自由世界に仕掛ける際の「浸透戦術モデル」だった。だからこそ、ポンペオ演説がいう中国の強奪、強制、無法に対して、「いま立ち向かわなければ、歴史的な過ちを繰り返すことになる」との一節が、過酷な現実を呼び覚ます。
オーストラリアのペイン外相がこの四月、武漢ウイルスの発生と経緯について「独立した調査を行うべきだ」と語ったとき、中国共産党はただちに豪州産大麦に高関税をかけ、食肉を一部禁輸にする報復に踏み切った。
その背景には、中国共産党がオーストラリアをターゲットに進めてきた「属国化戦略」が暴露され、米豪同盟の解体に失敗したことがあることも、『目に見えぬ侵略』で示唆されていた。
現在のスコット・モリソン首相は、財務長官時代の2016年8月、中国の国営企業がニューサウスウェールズ州の配電会社オースグリッドを買収しようとしたことを、土壇場で阻止した張本人である。電力は企業活動の血液であり、これを中国に握られれば、オーストラリア経済どころか政府の政策決定をも左右されるところだった。
実際、中国国有企業に電力を牛耳られるフィリピンは、北京からの影響にからきし弱い。フィリピン政府は2007年に、すべてのエネルギー網の管理権を中国の国家電網公司に与えてしまっているからだ。わずか一社の中国国有企業が、フィリピン全土の配電盤を握っているとは異常ではないか。
ハミルトン氏によると、中国系フィリピン人はフィリピン資本の半分を握り、全人口のたった1.5%の中国系が、とびぬけた政治力を持っているのだ。
中国を拒否したオーストラリアと拒否できなかったフィリピンの差は、すぐに表れていた。中国に配慮するフィリピンのドゥテルテ大統領は最近、海軍が南シナ海で他国、すなわちアメリカとの合同演習に参加することを禁じたのだ。
ロレンザーナ国防相は8月3日の記者会見で、米中両国が南シナ海をめぐり対立を先鋭化させており、これと距離を置く姿勢を示した。