《各国の世論調査機関が加盟する「ギャラップ・インターナショナル」が実施した調査で、新型コロナウイルス感染拡大に「自国政府はうまく対処していると思うか」との質問に「思わない」「全く思わない」と答えた日本人は合わせて62%に上った。「とても思う」「思う」は23%にとどまり、回答した29カ国・地域中28位だった》(産経新聞四月十日付)
このように、日本国民の日本政府への評価が異常に低い要因としては、①日本政府のリスク・コミュニケーション能力の低さ、および②ワイドショーや一部SNSによる事実に基づくことのない日本政府への理不尽な罵倒への同調が考えられます。
まず、日本政府のリスク・コミュニケーション能力の低さは深刻なレベルです。特に、リスク・コミュニケーションの大前提となる専門家によるリスク評価(たとえば「接触8割減」の評価方法)を詳細に明示しないことには大いに問題があります。
また、厚労省による日々の感染データのインターネット広報についても、不親切極まりない絶望的なレベルです。図示がほとんどなく、数字や文字の羅列に終始しているために、極めて理解しにくいばかりか、情報の探索も極めて困難です。
リスク対応についても単なる発表に終始して、その意思決定プロセスが極めて曖昧な状況となっています。情報化時代のいま、この問題に限らず、政府は国民への行政サービスのために、本格的な総合ポータルサイトを開設し、迅速かつわかりやすい情報公開を行うべきです。
一方、この異常な低評価の最も大きな原因は、ワイドショーや一部SNSが個人的な確信や思い込みを根拠にして、実際には非常に常識的な安倍政権のリスク管理をヒステリックに罵倒して、情報弱者をミスリードしたことであると考えます。
特にありがちな罵倒が、新たな情報を得ることで対応を逐次確認・修正する【情報化戦略 observational method】を展開する日本政府を、戦力を逐次投入して失敗した旧日本軍と同一視してバカにするものです。情報環境とデータ・プロセッシング能力が貧弱であった遠い過去の一例を根拠にして情報化戦略を否定するなど、思考停止も甚だしい暴論です。
「経済よりも命」というありがちな主張
キメ細かくリスク・ヘッジすることなしに勇ましく全戦力を投入する戦略は、リスク対応としては前時代的な無謀な賭けに他なりません。現代では【リスク・ベネフィット分析 risk benefit analysis】に基づいて、戦術の【ポートフォリオ portfolio】を合理的に構成するのがリスク対応の常識であり、むしろ必要な個所に戦力を適切に投入することが求められます。
新型コロナ事案に関する英インペリアル・カレッジ・ロンドンMRCセンターの報告書は、このようなメディアの悪影響を強く問題視しています。
基本的に新型コロナ危機に対処する方法は、ワクチンが開発されて集団免疫を獲得するまで、感染を遅らせることしかありません。しかしながら、緊急事態宣言を乱発して必要以上に自粛を促すことも、また生命を脅かすリスクとなります。
なぜかと言えば、長期にわたる生産活動の停止が引き起こす経済危機によって、現在観測されているような新型コロナによる死者とは比較にならないほど多くの経済弱者が大量に自殺する可能性があるからです。
現在まで死者数が低く抑えられている日本において、経済危機による自殺は今後最大の悲劇になりかねません。「経済よりも命」というありがちな主張は、実質的には「経済で死ぬ人よりも新型コロナで死ぬ人を助ける」ことを意味する無責任なゼロリスク追求です。
リスク対応の戦略として求められるのは、新型コロナ患者に適切な医療を提供する(医療崩壊を抑止する)ことを絶対的な制約条件としたうえで、感染による死と経済危機による死を最小化するリスク低減戦略に他なりません。