感染を遅らせた“日本モデル”
中国共産党は、春節のホリデイシーズン前の1月23日に武漢を封鎖、続いて中国国民の海外団体旅行を禁止しました。日本政府は湖北省からの訪日者を1月31日から拒否し、次いで浙江省からの訪日者を拒否しました。先月号でも書きましたが、この日本政府の措置に対して、たとえば『羽鳥慎一モーニングショー』の玉川徹氏などは、「なぜ中国全土を止めないのか」「中国から感染者がどんどん入って来ている」として安倍首相を徹底的に罵倒しました。
しかしながら中国からの訪日者数の観測値を基に確率計算をすれば、感染者が訪日する確率は2月の1カ月で0.1人程度であり、仮に10倍感染者がいたとしても1カ月で1人程度が訪日するという期待値になります。これは、すでに2月末の段階で200人以上の感染者が存在した日本においては誤差に近い値です(そもそも2月末の中国の感染率は、4月中旬の日本の感染率の十分の一のレベルでした)。
また、クラスター対策班が確定した湖北省からのウイルス輸入例は全11例、そのほとんどが1月中に確認された武漢からの訪日者であり、最後の確定例は2月5日です。つまり、日本政府は湖北省と浙江省を入国制限するというリスク対応で、中国から感染者が訪日するリスクをほぼ回避したものと考えられます。
政府・専門家会議・保健所・自治体・地方衛生研究所・感染症研究所・検疫所・クラスター対策班で構成される日本チームは、2月初旬からのクルーズ船対応で得られた知見を有効活用して、いわゆる対策の日本モデルを構築し、【決定論的手法 deterministic approach】で次々とクラスターを潰して、実効再生回数を1未満まで低下させました。
世間から徹底的に罵られた安倍政権ですが、日本チームは見事に感染を遅らせて、先進主要国のなかで最低の死亡率を実現したのです。その意味で、武漢から来襲した第1波の新型コロナ危機はブラック・スワンではありませんでした。
中国以外からの流入でまさかの事態に
しかし、そんな成功も束の間、3月中旬からはそれまでとは比較にならない数の感染者が、中国からではなくヨーロッパ、エジプト、アジアから「どんどん流入」してきました。
観測された輸入症例は、1月中旬から2月初旬までの1カ月では中国からの11例+不明1例の計12例でしたが、3月に入ると主としてヨーロッパ、エジプト、アジアから第1週:7例、第2週:35例、第3週:69例、第4週:58例と約15倍に増えてしまいました。
特に3月11日のWHOによるパンデミック宣言後は、感染流行国からの帰国者が激増したと言えます。
領域におけるノイマン境界条件がこれだけ増えれば、感染が急速に拡散するのも無理はありません。実際に、3月下旬から東京を中心に新規感染者が増加していきます。この失敗の原因は、中国以外からの流入というリスク特定ができなかったことによります。
皮肉にも、中国からのフライトの乗り入れを1月末に停止した英・仏・蘭・独・伊など、EUの国々の水際対策は、安倍政権の水際対策を批判した人たちからは絶賛されていました。しかしながら、この措置は、域内を自由移動できるEUではザルのような制限に過ぎませんでした。
中国を危険視してEUを安全視した錯覚は、まさに小さなリスクに執着して大きなリスクを見逃す【1次バイアス primary bias】の典型例です。また、同様に2月1日に中国全土からの渡航者に対して入国を拒否した米国も絶賛されました。しかしながら、米国もEUからの感染者の流入を軽視していたため、リスク回避に失敗して感染爆発を起こしてしまいました。
いずれにしても、日本も欧米もリスク特定を失敗しました。そして、そのリスク特定の失敗につけ込んで襲いかかってきたのが真性のブラック・スワンです。ブラック・スワンの提唱者タレブは、新型コロナ危機は予想可能な事象でブラック・スワンではないとしていますが、欧米を極めて短期間に余儀なく無力化して甚大な被害を与えた感染爆発は、彼の言うブラック・スワンそのものです。東京五輪延期の原因も東京の感染爆発ではなく、世界の感染爆発にありました。