元村有希子氏:本当にアスリートの方々の頑張りに胸を打たれますし、心から拍手を贈るんですけれども、今日のこの8時からのニュース番組でも、ガザで血まみれになっている子どもたちの映像を観た後で、あの煌びやかなショウを観ると、やっぱりパラレル・ワールドというか別世界という感じがする。(中略)
やはり、これは私の私見ですが、国家同士で競い合うというモデル自体が限界に来ている。そこには必ずプロパガンダが入り、国威発揚、国が押しのけて勝つという、政治家に利用されるということもある。五輪はいろいろな課題があるが、根本的に見直す時期に来ている。
まるで、国家同士で競い合う五輪がガザの問題を引き起こしているかのような、支離滅裂な主張です。
常識的に考えて「平和の祭典・五輪」は「その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動(五輪憲章根本原則3)」であり、戦争を抑制する可能性はゼロではありませんが、抑止することはできません。戦争抑止は五輪の「行使しうる手段の範囲」を遥かに超えているからです。
オリンピック憲章 1996年版 根本原則|JOC - 日本オリンピック委員会
https://joc.or.jp/olympism/principles/charter/konpon_gensoku.htmlオリンピック憲章オリンピック憲章 Olympic Charter 1996年版 (財)日本オリンピック委員会根本原則1 近代オリンピズムの生みの親はピエール・ド・クーベルタンであった。氏の提案にもとづいて、1894年6月、パリ国際アスレチッ
また現在、五輪を国威発揚の道具にしている国は中露のみであり、仮に多くのメダルを獲得しようと、それで国威を感じる人は、冷戦時代から時計が止まっている『サンデーモーニング』のコメンテーターを除けば、ほとんどいないものと思われます。いまどき、覇権国家が五輪で国威発揚しても世界の人々から時代錯誤とバカにされるだけです。
荻上チキ氏:五輪は基本的には国家間の対立や競争ではなくて、選手個人の戦いと位置づけられている。各国がメダルを数えて、何枚獲ったか競ったり、誇ったりすることを自制しようと。ただ先の五輪などでも、例えば日本の場合は五輪のメダルの数を競うようなことを公式の五輪委員会が行ったりしていて、そうした建前と実際の矛盾というものは常に指摘されてきことだ。(中略)
今回の五輪のような場面の背景で戦争が起こっていること自体が、元々の反省を活かしきれていない実相を浮き彫りにしている。