まさに「自問自答の書」
ジャーナリズムとは
本書は「憂慮するジャーナリスト委員会の創設者・議長」であるコバッチと、「ジャーナリズムの真髄プロジェクトの創設者・理事」であるローゼンスティール(いずれも会の名称の迫力がすごい)がまとめ上げ、2001年の発刊以来、四度にわたって改訂を繰り返してきた、まさに「自問自答の書」と言える。アメリカでは実に20万部以上も売れ、25以上の言語に翻訳されてきたという。
ジャーナリズムとは何なのか。ジャーナリストとはどのようにあるべきか。この20年ですっかり人々に定着し、新聞やテレビ以上に人々が情報を得る手段となったウェブが、ジャーナリズムにどのような影響を及ぼしているのか。さらには、「一億総記者」とも言える「情報過多」な時代における、メディアの役割とは何なのか。徹底的に考え抜いた指針だ。
ジャーナリズムのあるべき姿として、日本では特に保守側から「客観報道」に徹せよと指摘されることが多い。もちろんこれは、リベラル寄りのメディアの報道姿勢を「客観的でない(リベラル側に偏っている、主観的すぎる)」と感じているからこその指摘だ。
しかし、「客観性とは何なのか」と言われると、途端にわからなくなる。「中立的であること」なのか。記者個人の判断基準や感情を一切排し、事実関係だけを羅列すれば客観性が保てるのか。最近話
題の「エモ記事不要論」もこの議論に関連するのか。
その「エモい記事」いりますか 苦悩する新聞への苦言と変化への提言:朝日新聞デジタル
https://digital.asahi.com/articles/ASS3W319WS3WULLI003M.html■Re:Ron連載「西田亮介のN次元考」第7回 このところ、エピソード主体の「ナラティブで、エモい記事」を新聞の紙面で見かけることが少なくない。ナラティブとは物語や語りを意味する。要は、お涙ちょうだい…
本書では、『世論』で知られるウォルター・リップマンなどが展開してきた「客観性」の議論にまでさかのぼり、それをどう現場で実現すべきかを検討する。