「本当の意味での実態解明」とは?
元村有希子氏:「コップの中の嵐」と寺島氏がおっしゃったけれど、本当に国民が呆れてしまうような現状が起きている。
岸田氏の大好きな「説明責任」という言葉について考えてしまうが、「説明責任」って「アカウンタビリティ」だ。「アカウンタビリティ」を「説明責任」と訳して説明する責任は果たしていると皆言う。その説明の中身が「知りませんでした」「わからないんです」ということだけではダメだという専門家もいて「アカウンタビリティ」は「答責性」と訳すべきだと言っている。
つまり、説明するだけでなく結果責任にもきちんと責任を持つ、身を処すことまで含めて「アカウンタビリティ」を果たしてほしいと専門家が言っている。党内の混乱はどうなろうといいが、岸田政権の支持率が10%台まで下がっているような状況で、しかも難問が山積している。
これから国会審議もいっぱい残っている。その中で、この状態で自民党は政権与党でいいのか。一人一人が自分の胸に聞いて欲しい。
説明責任=アカウンタビリティは「ないこと」を挙証する悪魔の証明とは異なり、蓋然的に「ないこと」の状況証拠を示して説得する責任です。身を処すものではありません。自民党議員の「知らなかった」「わからない」という発言はアカウンタビリティの一つです。
そもそも、本人が自身の潔白を完全に証明することはできない(悪魔の証明)ので、その説明に相手が納得しない限り、この問題は永遠に終了しません。
常識的に考えれば、国家で最も厳しい捜査能力を持つ第三者委員会と言える検察が無罪を発表した段階で、当該議員に刑事罰を与えることはできません。国民が当該議員に懲罰を与える手段は投票行動のみです。また当該議員には説明責任よりも法改正を求めるのが論理的です。
畠山澄子氏:本当の意味での実態解明がやっぱりなされていない。処罰の種類や軽重を、メディアを含め焦点としているが、明らかに自民党が論点をずらして、そこにメディアも乗っかっている構図ができてしまっている。
4月4日に世耕氏は「誠実に処分を受け止めることによって政治責任を果たしたい」と言っているが、その政治責任は一体何なのか。一番大事な「誰がいつどうやってやろう」と言ったところがわからなければどうしようもない。
おそらく今、私たちはずっと続いてきた「諦めさせる政治」「忘れさせる政治」みたいなものと戦わなければいけなくて、その意味ではしつこいと言われても実態解明をして欲しいと私は言い続けなければいけなくて、メディアにはそれを取り上げて欲しいし、野党の議員には証人喚問を追求し続けてほしい。
気持ちはわかりますが、国家で最も厳しい捜査能力を持つ第三者委員会と言える検察が行った実態解明の結果を重く受け止めるのが法治というものです。
意味不明なのは「本当の意味での実態解明」という言葉です。本当の意味とは一体何なのかということです。
また、全員が不作為すれば現状維持となるこの件には「誰がいつどうやってやろう」という指示は必ずしも必要ではありません。検察捜査の結果から、この事件の元凶は集団的無責任であると考えるのが蓋然的です。
なお、検察よりも厳しい懲罰があるとすれば、それは私刑(リンチ)しかありません。もちろん私刑は法の支配や法治に対する冒涜行為です。