中国「パンダ外交」の歴史
先週中国を訪問した公明党の山口那津男代表が、中国にパンダの貸与を求めた。誘致を求める郡和子仙台市長の親書を、中国共産党序列5位の蔡奇・政治局常務委員に手渡した。
これまでも私は地元の国会議員として、パンダを受け入れる環境にはないとして反対してきた。日中間には外交上の懸案が山積し、不当に拘束された日本人が中国国内に留め置かれている。また、パンダ2頭で年間1億円とされるレンタル料や、飼育設備の建設費、飼育費用もどれだけかかるのか全く不明である。
仙台市民に説明が尽くされないまま誘致が行われることはあってはならないし、中国はパンダを外交上利用してきたことからも日中間の懸案を解決することが先である。
中国のパンダ外交の歴史は、1941年に蒋介石夫人の宋美齢らが、つがいのパンダを米国に贈ったことに始まる。中国共産党政権成立後は、1957年に旧ソ連に対して贈られ、1972年にはニクソン米大統領の電撃訪中を受け、米国にパンダが寄贈された。さらに同年には、日中国交正常化がなされ、日本に「カンカン」と「ランラン」の2頭が贈られた。
この年は、アメリカでパンダブームが起き、日本でもフィーバーが起きた。パンダを飼育する上野動物園では、3時間待ちで30秒しか見られないという状況だったが、それでもパンダを一目見ようという人達が殺到した。この時のパンダ贈与は、日本における中国に対する好感度のアップにつながった。
このように中国は外交カードとしてパンダを使っており、台湾に対する世論工作にも利用した。2005年には、訪中した国民党の連戦主席にパンダの寄贈が中国から提案された。民進党の陳水扁政権総統は、「統一工作」だとして拒否したが、2008年に国民党の馬英九氏が総統に就任すると、「パンダは共産党員ではない」として受け入れを表明した。
そして中国は2頭のパンダを、「台湾への国内移動」と位置付け、中国による世論工作にパンダを最大限利用した。
中国によるチベット侵略の象徴
そもそも中国におけるパンダの生息域は、チベット侵略によって中国とされた地域である。現在は、中国から国外に出されるパンダも中国国外で誕生したパンダもすべて中国国籍となっており、返還を求められれば返還しなくてはならない。
1981年に中国はワシントン条約に加盟し、絶滅危惧種であるパンダは贈与せず、繁殖や研究を目的とした貸与へと変更したからである。これによりレンタル料も取っているのである。
なお、日本においても動物は外交における友好の証として各国に贈ってきたし、様々な動物の贈呈も受けている。パンダ来日の翌年、昭和48(1973)年には特別天然記念物ニホンカモシカが中国に贈られている。過去をさかのぼれば、推古天皇の時代に新羅より孔雀1羽が献上され(598年)、翌599年には百済より駱駝(ラクダ)や驢(ロバ)が献上されたことが日本書紀に記されている。
また、上野動物園にインドから贈られた象は、日印友好関係の象徴とも言えるものとなった。昭和24(1949)年9月にインドから上野動物園に象が来日するが、これは、同年5月に台東区の子供議会が、「地元の上野動物園に象が欲しい」と決議したことがきっかけである。
上野動物園では戦時中に象が餓死するなどしていた。この子供達の思いを受けて、日印における有力者が仲介しインドのネルー首相に子供達の作文などを届け、ネルー首相はいたく感激しメスの象を日本に贈ることを決める。