「フランス共和国」の「存在理由」
「ラ・マルセイエーズ」が簡単に否定されないのは、「フランス共和国」の「存在理由」(レゾン・デートル)と無関係ではないからだ。
フランスは現在、第五共和制(1958年発足)だが、「憲法」の前文には「フランス国民は(第2次世界大戦後の)1946年(第四共和制発足)の憲法の前文によって確認され、かつ、補完された1789年の宣言によって定義されるような人の権利及び国民主権の原則への、その愛着を厳粛に宣言する」と明記されている。
つまり、フランス共和国がフランス革命に端を発することを強調している。
第1章「主権」の「共和国」の定義では「フランスは、不可分の非宗教、民主的かつ社会的な共和国である」と指摘。第1章第2条では「国家の象徴は青、白、赤の三色旗である」と「国旗」を定義。「国歌はラ・マルセイエーズである」と高らかに謳っている。そして「共和国の標語は『自由、平等、博愛』である」と、かの有名なスローガンも明記している。
つまり、「ラ・マルセイエーズ」はフランス共和国の歴史と理念に密接に結びついており、切っても切り離せない関係にあるというわけだ。
一方、第2次世界大戦後に誕生した日本国憲法には、前文も含めて「国旗・日章旗」や「国歌・君が代」への言及もなければ定義もない。学校教育でもこの2点に関しては冷淡なので、かつては「君が代」を「大相撲の歌」と勘違いしていた日本人がいたとか。千秋楽で必ず斉唱され、その厳粛なメロディーが日本古来の国技に似合っていたからだ。
「ラ・マルセイエーズ」のメロディーに関しては、ドリールがモーツァルトのピアノ協奏曲第25番ハ長調に影響を受けたという説があるが、「楽曲として変調をうまく使うなど極めて優れている」(作曲家・吉田進)と評価が高い。
「ラ・マルセイエーズ」の誕生の歴史は劇的だ。フランス革命の真っ最中の1792年4月に対オーストリアへの宣戦布告に際し、国境の町、仏東部ストラスブール駐屯のルジェ・ドリール大尉が軍歌として作詞・作曲した。
ドリールは、この対オーストリアへの宣戦布告にある「フランス国民は自由の擁護と独立のためにのみ武器を取る」 「この戦争は不正や侵略に対する自由な国民の正当防衛だ」という「自由」と「防衛」を強調した文章に感激し、一晩で書き上げたという。だから歌詞が一見、野蛮で残忍でも、本質的には「侵略戦争を鼓舞する軍歌」ではなく、「自由」を掲げる祖国フランスの「防衛」の歌というわけだ。
なぜマルセイユが題名になったのか
では、ストラスブールで生まれたのに、なぜ南仏のフランス最大の港町であるマルセイユが題名になったのか。マルセイユは現在、地中海の向こう側のアフリカ大陸や中東などからやってくる移民が多く住む都市としても知られている。この1、2年は麻薬がらみの殺傷事件が相次ぐなど治安悪化が問題となっているが、パリに次ぐ第2の大都市だ。
革命当時もパリから革命の波が早々に押し寄せ、制度上の改革も進んでいた。王の正規軍は革命勃発の直後までは、マルセイユ港に築かれた砦に設置された大砲の砲口を外国艦隊の襲撃に備えて外側に向けていた。しかし、これを市内側に方角転換。これに対して市民が反発し、自然に結成された市民軍が砦を占領して抵抗した。パリの革命派とも連絡が密で、義勇軍の結成も早かった。
マルセイユでは革命派の集会も盛んに行われ、ストラスブールで作詞・作曲されたこの歌も集会で披露、出席者が熱狂して歌ったという。そこで、集会を取材していた新聞記者が早速、歌詞を地元新聞に掲載した結果、集会の開始と終了時にこの歌を歌うのが慣習となった。愛国心と好戦的精神を高揚させ、勇気を奮い立たせ、陶酔感に浸れる効果が十分にあったからだ。
歌詞が町中に配布され、マルセイユの市民軍の音楽隊が歌うようになり、義勇兵もパリへの行軍中に歌った。マルセイユからパリまでの距離は約800キロ。歌声高らかな義勇兵は各地で熱狂的な歓迎を受けた。義勇兵は行く先々の各地で歌詞を配布したので、たちまち全国に波及した。行軍がマルセイユから開始されたので、題名も「ラ・マルセイエーズ」となったという次第だ。
フランス革命に傾倒してパリに移住した熱血漢のドイツの詩人ハイネは、パリ市民がデモを展開中に「ラ・マルセイエーズ」を絶え間なく絶唱するのに悩まされ、祖国の新聞への寄稿文で「ガリア人(フランスの先住民族でフランス人の始祖)の悪魔の歌」のために悩まされていると告白している。
ところが、この歌の持つ不思議な魔力について、「あなた方ドイツ人もこの魅惑的な歌の威力を感じるでしょう」とも書き送っている。
ちなみに、フランス人の好戦性を示す象徴には、記章の「雄鶏」(コック)もある。「ガリア人」を指す「ガルス」と発音が全く同じであるため、「雄鶏」はガリア人の時代から国の記章として使われてきた。ドイツの「鷲」や英国イングランドの「レオパード」(ライオン)の記章に比較すると弱弱しく見えるが、実は侮り難い好戦性と勇気がある。
カエサルの『ガリア戦記』には、賛嘆と同時に驚異を込めて、こう記されている。
「ガリアの戦士がまるで雄鶏が雛を守るがごとく血気に溢れ、激昂して戦う」