昭和天皇の御親拝は昭和50年が最後だった
終戦の日である8月15日に靖國神社に参拝した。
私は毎年、御英霊への朝の神職のご奉仕が終わった後、参拝可能な朝一番の時刻である午前8時に昇殿参拝をさせて頂いている。御英霊に尊崇の念と哀悼の誠を捧げるとともに、いついかなる時も国家国民を守り抜くことを改めて誓わせて頂いた。
私は終戦の日のみならず、靖國神社の春と秋の例大祭、そして折々に昇殿参拝をし拝殿前でも参拝をさせて頂いている。国家国民のために命を捧げられた方々に手を合わせるのは当然であり、内心の自由や信教の自由は現行憲法でも保障されているから、他人にとやかく言われることはおかしなことである。
しかしながら、参拝するために靖國神社の到着殿に入る時もメディアのカメラが大勢集っていた。過去に、「公人としての参拝ですか?私人としての参拝ですか?」と聞かれたこともあったが、私は「参議院議員和田政宗」として参拝したと答えた。国会議員として戦没された方々を追悼するのは当たり前のことだ。
このように、「公人か?私人か?」と区別すること自体がおかしいのであるが、これは時の首相が始めてしまったことであり、現在に至るまでの大きな問題を生じさせている。
昭和49(1974)年までは総理大臣は靖國神社を毎年ごく普通に参拝していた。公人も私人もなく、「日本国総理大臣」として参拝していた。しかし、昭和50年に三木武夫首相が「私人として」参拝をしたのである。この時から「公人か?私人か?」の区別が始まることとなる。
昭和天皇が靖國神社に御親拝されたのは昭和50年が最後であった。ご親拝されなくなったのはA級戦犯とされる方々が合祀されたことにあるとの説があるが、A級戦犯とされる方々が合祀されたのは昭和53年であり、この間の3年間は説明がつかない。
私は、国民の代表である総理大臣が、「公人だ、私人だ」と区別して定まらない形では世論に分断を生む形となり、このような状況では参拝できないと、天皇陛下が御親拝を取りやめたというのが真実だと考えている。
だからこそ私は総理大臣が毎年靖國神社を参拝し、天皇陛下に御親拝いただける環境を整えるべきであると考える。国のために尽くされた御英霊が、天皇陛下の御親拝をいただけないのは、国民としても国会議員としても本当に申し訳が立たない。
A級戦犯とされる方々の罪はすでに消滅
そうした観点から、靖國神社への首相の参拝は全く問題がないこと、その前提としてA級戦犯とされる方々がいかにおかしな状況で裁かれたか、さらにA級戦犯とされる方々の罪はすでに消滅していることを、私は戦後初めて国会で明らかにした。
これは平成26(2014)年3月12日の参院予算委員会の質疑のことであるが、まず、東京裁判によるA級戦犯に対する刑は国内法に基づいて言い渡された刑ではないことを確認した上で、A級戦犯とされる方々が裁かれた「平和に対する罪」は戦勝国により事後的に考えられたもので、それを基に裁くことは法の不遡及の原則に反すると質問した。
これに対し、岸田文雄外務大臣は、「平和に対する罪は国際慣習法として確立していない」と答弁したのである。つまり、現在も国際法で確立していない罪によってA級戦犯とされる方々は裁かれ、刑に服したわけである。
そして、刑罰終了をもって受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念であり、政府は処刑されたA級戦犯とされる方々を公務死として扱っている。
そこで、前年(平成25年12月26日)に靖國神社に参拝された安倍晋三総理に対して、靖國神社にA級戦犯とされる方々が合祀されていても軍国主義の美化にはつながらないこと、総理も二度と戦争を起こさないという信念の下で参拝しているわけだから、何ら総理の参拝に問題はないと考えると質問した。
これに対し安倍総理は、「国のために戦い、倒れた方々のために手を合わせ御冥福をお祈りをする、尊崇の念を表するのはリーダーとして当然のことであろうと、これは各国共通のリーダーの姿勢であろうと思っている」と答弁し、「戦没者を追悼する、そして不戦の誓いをする、そういう意味において参拝をした」と続けた。
そして、「今後とも平和国家としての歩みはいささかも変わることがないわけでございますし、様々な批判が加えられておりますが、私の参拝に対しての批判は誤解に基づくものであると思っております」とお答えになった。