そして、上海電力日本の開業は2014年1月11日だから、2012年末の入札時には影も形もなかったことになる。そして開業わずか2か月で、咲洲メガソーラーの着工式に突然やってきたのだ。
この段階で上海電力は咲洲メガソーラーの企業連合体にも、合同会社にも参加していなかった。大阪市はなぜ完全な「無契約」「無関係」な上海電力日本を、着工式から排除しなかったのか。この点については次回以降の本欄で詳述する。
これこそが「副市長疑惑」の核心
中央省庁や地方自治体の別なく、どこの役所でも最初に尊重されるのが「前例主義」だ。大阪湾の埠頭でメガソーラー事業をやろうとするのであれば、先行する夢洲と同じ部局が同じスタイルで進めるのが通例だ。「環境局」から「港湾局」へ、「メガソーラー総合パッケージ契約」から「不動産賃貸契約」へ。契約の内容をわざわざ大きく変えたのは、一体誰なのだろうか。
夢洲の企画立案が行われた2010年と、咲洲の企画立案が行われた2011年の間で、大阪市で何が起きたのか。もちろん、大阪市の幹部は地方公務員だから、ほぼ全員が続投している。
しかし一人だけ代わった幹部がいる。そう、2011年12月19日に平松邦夫氏から市長職を引き継いだ橋下徹氏だ。新市長からの強い指示がなければ、咲洲でも夢洲の前例を踏襲していたに違いない。
もう一度、咲洲メガソーラーの異常性を整理しよう。
(1)橋下市長誕生後、1年未満で入札(前代未聞のスピード)
(2)なぜ不動産賃借契約だったのか
(3)なぜ公募期間が18日しかなかったのか
(4)太陽光発電ビジネスの実績ゼロの企業グループだけが応札
(5)資格要件を満たさない2社の応札をなぜ認めたのか
(6)なぜ契約不履行を見逃したのか
そして、松井市長の「副市長案件」発言という意味で注目すべきなのが(1)だ。市長が代わると、政治任用の副市長も代わる。橋下氏が市長になって新たに副市長になった人物は3人。
◯村上龍一(2012年2月1日〜2016年1月15日)
◯田中清剛(2012年2月1日〜2019年5月31日)
◯京極務 (2012年11月7日〜2016年1月15日)
京極氏は就任が2012年11月7日で咲洲メガソーラーの公募最終段階に入ってからの就任だから、松井市長が言うところの「副市長」である可能性は極めて低い。
ということは、咲洲メガソーラーの異常な入札に関与した可能性のある副市長は「村上龍一」と「田中清剛」の2名に絞られた。
そして私が注目しているのは村上龍一氏のほうだ。なぜなら、2014年2月に橋下徹氏が仕掛けた「出直し市長選」で、橋下氏が2月26日に市長を失職して3月24日に再選されるまで「市長代行」を務めたのが村上氏だからだ。
そして、わずか28日間の「村上市長代行時代」に行われたのが、3月16日の「咲洲メガソーラー着工式」なのだ。これこそが副市長疑惑の核心である。そして内容を精査すれば、実はこれは「副市長疑惑」ではなく、「橋下徹疑惑」そのものであることがはっきりするのである。
これについては、次回の「橋下徹研究⑨」に譲ることにする。
(つづく)