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朝日新聞による言論抹殺―前編 小川榮太郎

アテナイ人諸君、諸君が、わたしを訴えた人たちの今の話から、どういう印象を受けられたか、それはわかりません。しかしわたしは、自分でもこの人たちの話を聴いていて、もうすこしで自分を忘れるところでした。そんなに彼らのいうことはもっともらしかった。しかしほんとうのことはほとんど何も言わなかったと言っていいでしょう。
『ソクラテスの弁明』

 

朝日新聞綱領

一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。

一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。

一、真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。

一、常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、清新にして重厚の風をたっとぶ。

 

……まことに立派な綱領である、恥ずかしいまでに……。

■「言論の自由」を抑圧する

2017年12月25日、私と飛鳥新社は拙著『徹底検証 「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』が名誉毀損に当たるとして、朝日新聞から5000万円の民事訴訟を提訴された

私は、以下に述べる理由により、この訴訟そのものが日本社会の「言論の自由」を、今後大きく抑圧する可能性のある禁じ手だと考える。

第1に、大企業が弱者に対し、恫喝的意図をもって仕掛けた典型的なスラップ訴訟であるからだ。

第2に、朝日新聞は膨大な紙面を持つ日本有数の言論機関だ。私の著書に不服があれば、たっぷりある紙面を使って自ら検証・反論して「名誉」を回復すればいいだけのことである。朝日が最高裁まで争うつもりなら、判決の確定は5、6年以上かかる可能性もある。

その間、朝日が毀損されたと称する「名誉」は宙ぶらりんのままなのだ。もし読者の前で黒白をつける自信があれば、紙面を使えば、時間も金も遥かに少なく名誉は回復されるはずだ。一番有利な言論場を所有する新聞社が、それをせずに高額賠償請求に持ち込む。これは単なるスラップ訴訟以上のもの、言論機関による言論抹殺である。

第3に、訴状があまりにもひどい。訴状は《以下に示すとおり、原告の森友学園問題及び加計学園問題に関する一連の報道に「ねつ造」「虚報」はない》と断言しながら、一方で《原告は上記両問題について安倍晋三首相が関与したとは報じていない》と主張している。

下らぬ詭弁だ。2017年5月17日付の文科省文書スクープ「新学部『総理の意向』」という大見出し一つとっても、常識では、安倍首相の関与の報道というべきだからだ。実際、両事件ともスクープし、主導し続けた朝日が安倍氏の「関与」を報じていないと今更のように訴状で主張している一方で、日経新聞の2017年12月17日の世論調査でさえ、国有地売却の手続きをめぐる政府の説明に「納得できない」は78%を占め、加計学園の獣医学部設置の計画認可に関する政府の説明も「納得できない」は69%だ。

初報・主導の朝日が「関与」を報じていないのに、なぜ初報から10カ月も経ってこんな数字が続くのか。大きな原因は、朝日が2017年2月17日の森友学園報道第一報から今年1月12日現在までの11カ月で、650本以上というロッキード疑惑並の分量の記事で「安倍疑惑」に強く輿論誘導し続けたからではないのか。

一年近く経過しても関与の物証が一つも出ない事柄の記事を数百本の大見出し、600本以上の記事で報じ続けたら、それは日本語の語感において完全に「捏造」「虚報」だ。

朝日新聞の渡辺雅隆社長と高橋純子編集委員は、物証はないが不倫関係の可能性がある、と私が11カ月、650回記事にしたら、朝日は黙って放置しておくか。物証はないが、不倫が絶対にない証拠もないのである。 

第4に、以上全面的にナンセンスな訴訟であるから、訴訟自体が私への業務妨害、圧力だ。家族が診断書の必要なレベルの心身の不調をすでに訴えている。私自身、音楽批評や日本精神史など、現状で少なくとも3本の専門研究の出版依頼を抱えながら、訴訟準備に忙殺されている。金と時間の圧迫はすでに著しい。

■再回答から逃げた朝日

ここで本音を言わせてもらおう。実は私には、今回の朝日訴訟の件で書くことなど、本当はもうないのである。

2018年2月号の『月刊Hanada』に公表したとおり、私はすでに朝日新聞からの申入書に回答している。そこで十分意を尽くした。ところが、朝日は再回答から逃げた。回答から逃げ、私の回答を全く踏まえていない訴状を送り付け、高額の賠償請求を仕掛けてきた。

言論機関としても日本の大企業としても、この段階で朝日の負けは確定している。不戦敗に逃げた相手のことを何度も書くのは、正直、面倒くさいのである。

そもそも論を言えば、私は森友・加計の朝日新聞報道に関して充分に読み、充分に調べ、充分に考察して、その研究の成果として『徹底検証 「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を著している。

この研究過程で私は、朝日新聞が社会通念としては「報道犯罪」と呼ぶ他ない悪質な手法で「安倍疑惑」の「捏造」を展開しているという「概括的な事実」を発見した。その時、私のなかで朝日新聞の「犯罪」性は確定している。

朝日が申入書を書こうが、裁判を起こそうが、新聞紙に残した「犯跡」は消えない。私との訴訟で万一提訴の一部が認められようとも、史上最悪級の「報道犯罪」の事実を、後世は繰り返し検証し続けるだろうし、歴史的汚名は永久に消えないのだ。なぜ、そんな基本がこの犯罪者たちにはわからないのだろう。

そこにいまの朝日新聞の組織としての末期的な腐敗を感じるが、訴状とともに朝日新聞が発表した広報担当執行役員、千葉光宏氏のコメントにそれがよく表れている。いささか長いが、これこそ歴史的汚点として残すべき文書なので、全文引用しておきたい。

《小川栄太郎氏の著書には、森友・加計学園に関する朝日新聞の一連の報道について事実に反する記載が数多くありました。本社には一切の取材もないまま、根拠もなく、虚報、捏造、報道犯罪などと決めつけています。具体的にどう違うか指摘し訂正を求めましたが、小川氏は大半について「私の『表現』か『意見言明』への苦情に過ぎません」などとして応じませんでした。出版元も著者の小川氏任せで、訂正は今後も期待できません。

この本が出版された後、本社の報道を同じ調子で根拠もなく捏造などとする誹謗・中傷がありました。読者の皆様からも、ご心配いただく声が寄せられています。

「言論の自由」が大切なのは言うまでもありません。しかし、小川氏の著書の事実に反した誹謗・中傷による名誉毀損の程度はあまりにひどく、言論の自由の限度を超えています。建設的な言論空間を維持・発展させていくためにも、こうしたやり方は許されるべきではありません。やむを得ず裁判でこの本の誤りを明らかにするしかないと判断しました》

■部分部分への難癖のみ

細部の「事実」を都合よく組み合わせながら、明らかに「嘘」と言える全体像を作り出す典型的な朝日の作文である。罪の意識なしにこんなことのできる神経が、私にはどうしても理解できない。

第1に、私の著書には《事実に反する記載が数多く》書かれていない。朝日新聞の訴状によれば、事実に反する記載の「摘示事実」は13件に過ぎない。本書全部が朝日の捏造を指弾していることを考えれば、これは逆に、本書の大半を朝日が事実と認めていることを意味する。

しかも、「摘示事実」のほとんどは「事実」ではなく、「解釈」や、取材をもとにした「伝聞・推定」だと明確に分かる箇所だ。

本当に拙著に《事実に反する記載が数多く》書かれているなら、朝日は紙面で歴然たる嘘の数々を対照表にして示し、私の本のデタラメぶりを喧伝すればいいではないか。

第2に、《本社には一切の取材もないまま、根拠もなく、虚報、捏造、報道犯罪などと決めつけています》とあるが、取材に関する私の考えは2018年2月号の『月刊Hanada』に書いている。それに反論もせず、こう決めつけたコメントと訴状を公開するのは、明らかな私への名誉棄損である。また、《根拠もなく》とあるが、私は280頁の著書全部を「根拠」に、「朝日新聞が存在しなかった『安倍疑惑』を長期間の紙面全体を使って捏造したこと」を「証明」したと主張しているのである。

朝日が「捏造」 「虚報」を否定するなら、この本書全部証明への構造的な反証が必要だ。ところが、訴状を見ても、本書の構造への反論が全くない。部分部分の記述に難癖をつけても、全部証明を全くひっくり返したことにならないのは論理学の初歩以前である。

たとえば、私が『中国共産党の蛮行』という本を書いて、法輪功弾圧や天安門事件、チベットなどについて詳論したとする。中国共産党が「我々は『蛮行』などしていない」と言いたければ、全編にわたって私が記述した「蛮行の一覧」の大半を反証可能な「事実」によって否定し続けなければならないであろう。

それをもし、「小川の著書には『習近平はその時にやりと笑いながらうなずいた』とあるが、習近平がその瞬間ににやりとした事実はない」とか、「小川の著書には『街を片っ端から破壊した』と書いてあるが、〇丁目〇番地の建物や△丁目△番地の建物は破壊していないから、『片っ端』から破壊したというのは事実に反する」とかの反論を13カ所ばかりしたところで、「中国共産党の蛮行」という大枠の事実への反論になるだろうか。

■朝日の「後世への最大汚物」

第3に、《小川氏は大半について「私の『表現』か『意見言明』への苦情に過ぎません」などとして応じませんでした》と書いてあるが、これまた悪質な歪曲だ。 私は「訂正要求」には「応じ」ていないが、朝日の訂正要求のどこがどう間違っているかを、朝日の「求め」に「応じ」て丁寧で具体的に回答している。

朝日新聞は、《小川氏は~応じませんでした》という主─述を用いることで、私が申入書に丁寧に回答した事実を故意に隠蔽し、私が不誠実な対応をしたかのような印象を読者に与えている。何しろ、見出しが「根拠なく誹謗・中傷」なのである。 最後の一節に至っては、朝日新聞の「後世への最大汚物」であろう。

簡単に時系列を記せば、こういうことになる。

まず、朝日新聞が森友・加計の一連の報道を、2017年2月から7月まで熱狂的に繰り広げた。

次に、私がそれをドキュメンタリーとして、10月22日付で『徹底検証「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』と題し、飛鳥新社から出版した。

その著書に対して、11月21日に朝日新聞社から厳重抗議の申入書が来た。 それに対して、私は12月5日、朝日新聞に回答し、裁判ではなく公開討論や検証などを通じ、言論で黒白をつけようと提言した。

この応酬の連鎖こそが、千葉氏が言うところの《建設的な言論空間》ではないのか。 朝日新聞が本当に《建設的な言論空間を維持・発展》させたいならば、まさに私の丁寧な回答に、同じように丁寧に回答すべきではなかったのか。

私の朝日への回答は『月刊Hanada』2018年2月号を参照いただきたいが、それを読んだ多くの第三者から「完全論破」という評価を受けている。第三者の多くがそう感じる「回答」を出されたら、朝日新聞が次にすべきは、それをひっくり返し、あくまでも小川の著書が「事実に反した誹謗・中傷」であるという説得力のある逆「完全論破」をすることでしかなかったのではないか。 

そうした応酬のプロセスを決して踏み外さないこと、このプロセスから逃げないこと、あくまでも「言葉のチカラ」によって自己の正しさを自ら論証してゆくことこそが、「建設的な言論空間を維持・発展」することではないのか。

ところが朝日新聞は、1.最初の申入書で「賠償請求」の恫喝をした挙句、2.それへの私の回答に再反論せず、3.私からの公開討論や紙上検証の提案を黙殺し、4.私の回答を紙面から隠し、5.私が根拠ない中傷本を書いたと紙面で決めつけ、6.極めて薄弱な摘示事実をもとに、飛鳥新社と私相手に5000万円の訴訟を起こした。

書きながらめまいがする。

これこそが、完膚なきまでに《言論の自由の限度を超えた》《建設的な言論空間》の一方的な破壊でなくて何なのか。

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■森友・加計報道は社会事件

特に重大なことを指摘しておきたい。 そもそも朝日の森友・加計報道は、裁判所で、朝日が出してきた摘示事実の如き細かい表現部分を争うことでごまかしていい話ではないということだ。

これは、法廷で朝日の設定した論点を争うべき主題ではなく、日本社会の「天下の公論」という広い裁きの庭において、国民環視のなかで黒白をつけるべき朝日による社会事件なのである。

森友・加計報道は、私が拙著で主張するような、朝日新聞による「安倍疑惑」の捏造だったのか、それとも朝日新聞の捏造という私の主張のほうこそ誤りだったのか──大枠の構造としての「安倍疑惑捏造」の有無を問うべきは、東京地裁に対してではなく、日本国民に対してである。

なぜか。

朝日が近年お気に入りの「立憲主義」という言葉があるが、このたびの朝日新聞の森友・加計報道は、まさに、立憲主義を揺るがす憲法マターだったからだ。

日本国憲法は国民主権を謳っている。国民主権を現実の政治過程に反映させる核心部分は言うまでもなく、選挙を通じて代表者を選び、国民の信任を受けた彼らによって政府を構成することにある。

朝日新聞が主導して報じ続けた森友・加計事件で、安倍政権の支持率は一時期、平均30%前後まで下がった。 朝日が訴状で言うように、たしかに厳密な意味では、朝日新聞は安倍首相の両事件への関与を一度も報じたことがない。なぜか。たしかな物証が一つも存在しなかったからだ。それなのに、「安倍首相」「昭恵氏」「安倍政権」という見出しを中心に、この件を650もの記事で報じ続けた結果、安倍政権の支持率が大きく下落した。

それならば、朝日の行為は、たしかな物証の全く存在しない=架空の疑惑記事によって、主権者の判断を大きく捻じ曲げたことになるではないか。

支持率を30%下げたとは、もし当初の数字が、日本の政権支持率の平均値である30%台後半だったら、政権が潰れていたことを意味する。もし朝日が、今更訴状で《安倍首相の関与を報じたこともない》と逃げるほど、関与が今日に至るも証明できない件で、長期にわたり650件の記事を書いて政権を潰す結果になっていたら、これこそデモクラシーの否定そのものだ。

立憲的に正当な手続きを踏んで選ばれた政権を、国民に大きな誤解を与える情報を長期間執拗に流し続けて倒す──これは、国民主権を根底から踏み躙る立憲破壊行為にほかならぬ。

ある政権に対してYESかNOかというのは、根本的な主権行使判断だからである。

朝日新聞は裁判に逃げず、裁判と同時に、自らこの争点について弁明しなければならない。
すなわち朝日は、「安倍疑惑」を見出しで創作したとの私の主張を全面的に否定証明するか、安倍疑惑を創作し、憲法破壊という根底的な国家犯罪を犯したことを国民の前に広く認めて廃業するかしか、道は残されていない。

この重大性を理解しているからこそ、朝日は名誉毀損裁判に逃げたのである。
名誉毀損裁判は、私が争い、判決が下れば、ソクラテスに倣って毒杯でも何でも仰ごうではないか。

しかし日本国民よ、あなたがたは私の裁判の帰趨と関係なく、朝日による憲法破壊が実際にあったかなかったか、私の主張が正しいか間違っているかを、ぜひ社会で決着してほしい。(つづく)

著者略歴

  1. 小川榮太郎

    文藝評論家、社団法人日本平和学研究所理事長 昭和42(1967)年生まれ。大阪大学文学部卒業、埼玉大学大学院修了。第18回正論新風賞を受賞。主な著書に『約束の日―安倍晋三試論』(幻冬舎)、『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)など。公式サイト→http://ogawaeitaro.com

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