私も橋本さんの引退にとても驚きました。センスの良いとても独創的な将棋で対外的なアピールも出来る得難い人です。とても残念です。(羽生善治)
(2021年4月4日 チーム羽生ツイッター)
結翔がいなくなって2年、精神的にいよいよ限界。私は弱い。けさは体に激痛。今日は薬飲んで寝る。たまにもう殺してくれと本気で思う時がある。被害者はきっとみんなそう。なぜ、こんな思いをしなければならない。元に戻してくれ
(2021年7月27日 橋本崇載ツイッター)
私も「実子誘拐」の被害者に
4月11日、東京・新橋駅前
私、橋本崇載(たかのり)は日本将棋連盟に引退届を提出し、2021年4月2日付で引退いたしました。引退に至るまでの経緯については、4月2日に開設したユーチューブチャンネルに投稿してきましたが、ここであらためて、私がなぜ20年間続けてきたプロ棋士を引退することになったのか、お話ししたいと思います。
事の起こりは、2019年7月18日。対局を終えて私が自宅に帰ってみると、書き置きを残して妻と生後4カ月の私の息子、橋本結翔(ゆうと)が消えていました。いま、社会問題になっている「実子誘拐」 「子どもの連れ去り」の被害者に、私はなったのです。
私たち夫婦はもともと東京近郊に住んでいたのですが、妻の出産を前に、関西地方の妻の父親の家の近くに自宅を構えて転居しました。初めての出産・育児が不安だという妻に配慮したのです。
私は東京に部屋を借り、対局があるときはそこに滞在していました。将棋連盟に無理を言って、できるだけ対局の日程を集中させてもらい、なるべく自宅にいる期間を長く取るようにしていました。自宅にいる間は、積極的に家事・育児を手伝っていたつもりです。息子をお風呂に入れるのは、私の役目でした。
その日も、子どもの顔を見ることを楽しみに帰ってきたのです。ところが、家のなかに妻と子どもの姿はありませんでした。「あなたが東京に戻ったら連絡してください」と書き残してあり、要は私に会いたくない、と。たしかにその直前、私が自転車で怪我をしたのを思いやってくれない妻をLINEで非難したことで喧嘩になり、「帰ってくるな」と言われていました。でも、こうして出ていってしまうなんて……。
青ざめて、妻の父親に連絡しました。妻の両親は離婚して別々に住んでいるのですが、義父によると妻は義母の元にいる、と。私はとにかく子どもに会いたかったし、会う権利があると思ったのでそれを伝えたところ、「それはそうだよね」と。それからしばらくの間、妻は3日に1度くらいは子どもを連れて自宅に来てくれていました。
その間、妻の両親も交えて何回か家族会議をもちました。妻は離婚したいようでしたが、私としては子どものために離婚は避けたかった。冷却期間を置くなどの方法で、なんとか結婚を継続できたらと考えていました。
一方で、もし離婚する場合、親権はどうするとか、お金はどうするなどの話もしていました。それなりに冷静な話し合いができていると思っていたのです。