張本勲さん:よかったね~~~。ホッとしましたよ~。許しはしませんよ。朽ち果てるまで許すことはできないけどもね。やったほうのトップが来てくれた。ほっとして。
私、個人的にはね、安倍ちゃんが総理で良かったね。あ~この国を守ってくれるから。まぁ悪いけどね、私の個人の問題だから。もうこれ並んでいてもね、もう遜色ないもんね。よかったと思いますよ。
この張本さんの気持ちがこもった安倍総理絶賛発言に対して、「ああそうですか」という気のない相槌を繰り返す関口さんでした(笑)
「風をよむ」では、被爆者としての張本さんを特集しました。
広島で被爆した張本勲さんは、自らの体験をもとに平和の大切さを訴え続けました。張本勲さんが私たちに話した思いを改めて考えます。張本勲さん(2024年)「そう。スタンスは狭いし、ステップも良いし」野球教室で…
膳場貴子氏:広島で被爆した張本勲さんは、自らの体験をもとに平和の大切さを訴え続けました。張本勲さんが私たちに話した思いを改めて考えます。
朝鮮半島出身の両親のもと、1940年に広島で生まれた張本勲さん。母親は、ほとんど日本語が話せない中、4人の子どもを育てていました。そして5歳となった張本さんが迎えた、1945年8月6日。自宅の玄関先で浴びた閃光。張本さんは、母親にかばわれ無事でしたが、爆心地から2キロしか離れていない家の周りでは…。このとき、外出していた6つ年上の姉・点子さん(長女)は爆心地近くで被爆。全身に火傷を負い、家に運ばれますが…。
戦後、学校ではけんかに明け暮れ、広島弁で「ごんた=暴れん坊」と呼ばれた張本勲さんでしたが、中学で始めた野球が人生を変えます。父が亡くなり貧しい暮らしの中、1人で自分を育ててくれた母親。「母にいい暮らしをさせたい」そんな思いからいつしかプロ野球を志します。
日夜、猛練習に励み、高卒でプロに入団。すぐに目覚ましい活躍を見せますが、その陰で常に怯えていたのが…。
年に1度の健診の度に恐怖に駆られ、軽い咳や腹痛でも原爆症と結びつける日々だったといいます。さらに張本さんを苦しめたのが、被爆者への差別。原爆の被害は広島・長崎を最後にしたいと語っていた張本さん。
張本勲さん(VTR):被爆者にとっては、死ぬまで戦争は終わっていない。『地球上から核兵器がなくなった』という一言を聞いて息絶えたいんだ。
非常に悲しい原爆体験をされた張本さんの言う通り、核兵器をなくすことは社会に課せられた至上命題です。
ただし、中国と北朝鮮が核装備を急拡大するなか、この実現は簡単ではありません。核兵器を無力化する技術が確立するまで、核兵器がなくなることはないと考えられます。
私たちは、現実を見据えて、最善のセキュリティ対策を取りながら技術の確立を待つしかありません。

