つまり、この戦後70年談話は、今後日本は過去の反省に立って歴史の教訓を胸に刻み、世界平和のために責任を果たしていくという宣言であったのです。
このような経緯から石破首相(実際には政権の官僚)は、自ら反省することなく、過去の反省と教訓を胸に刻むという表現を使ったものと推察されます。
「反省」に一喜一憂するメディア
石破首相の式辞は安倍首相の戦後70年談話をよく継承しています。戦後80年談話の意義はなく、必要ありません。戦後70年談話は「戦後」に終止符を打ったのです。
このような流れに対して、コンテクストを無視した「反省」という言葉の使用で一喜一憂してその内容を評価する日本メディアは、残念なほど思考停止していて、無能極まりないと考えます。
そもそも朝日新聞と毎日新聞(東京日日新聞)は政府に注文を付ける暇があったら、自ら80年談話を発表し、自らの戦争責任を明確にした上で、全世界に反省と謝罪を伝え続けるべきです。
日露戦争の報道によって部数が伸びたことで、戦争報道が儲かることに気付いた当時の新聞は、排外主義を煽って日本国民を洗脳する【エコーチェンバー echo chamber】を形成しました。
その結果、先鋭化したメンバーが満州事変に発展する柳条湖事件を起こし、226事件といった軍部の暴走に発展し、全国民を巻き込んだ巨大な【情報カスケード information cascade】が形成されました。
ここに、情報カスケードとは、民衆が多数の意見に流されて極端な方向に進む現象であり、日本の世論はなだれのように戦争へと向かっていったのです。朝日新聞と毎日新聞はその情報カスケードの強力なエンジンの役割を担いました。
結局、政府も世論に逆らえず、負けるとわかっていた米国との戦争に突入しました。政府は戦況が悪くなると、責任をとるのが怖くて大本営発表を繰り返すようになり、最後まで国民を騙し続けて終戦に至ったのです。