「いずれは政治家になりたい」
危険と隣り合わせの「世直し系」だが、彼らがなぜこうしたコンテンツの作成に手を出しているかと言えば、単にカネもうけをしたいからだけではないという。
肥沼氏が聞き取ったYouTuberたちの弁によれば、「自分たちが楽しみ、持続性のある形を取りながら、世の中の役にも立ちたい」ということなのだ。
肥沼氏は、目的と手段の取り違え、つまり稼ぐこと自体が目的化した場合にはルールや秩序を脅かしかねないと指摘する。一方で、盗撮・のぞきを取り押さえるYouTuberの「活躍」により、実際にそうした犯罪が減っている駅もあるという。
気になるのは、YouTuberたちの何名かが「いずれは政治家になりたい」と発言していることだ。
暴露系YouTuberから参院議員となったガーシーのシンデレラ・ストーリーを念頭に置いてのことかもしれない。実際、本書にも記述のある炎上系YouTuberだったへずまりゅう氏は、奈良市議会議員に当選している。なぜ、YouTuberは議員になりたがるのか。
本書で取材を受けているYouTuberらは、かつて詐欺などで逮捕されるなど犯罪歴があるケースもある。犯罪者になる、生活の全てを失うという体験をした当事者からすれば、議員になることは人生すごろくの「あがり」なのかもしれない。
そして、世直し系として知られることが、得票数を伸ばすための下準備でもあるのだろう。本書でも「炎上は『ただの人』をファンがいる人にする」効果を指摘している。
彼らの言う「世直し」にしても、「一度は犯罪に手を染めた。だからこその社会貢献なのです」「お金目当てではない」「騙される人、被害者を少なくしたい」という動機は立派だと思うが、そのための手段が「犯人に直当たりして取り押さえたところを動画で撮影し、ネットで流すこと」なのかという疑問はやはり残る。
肥沼氏はこうした疑問も当事者に率直にぶつけている。それに対する彼らなりの論理については、本書をご確認いただきたい。
現代の鼠小僧は正義なのか
それにしても、本書を読んでいると「江戸時代の鼠小僧を義賊化した人たちの気持ちは、今の世直し系YouTuberを見ている人たちの感情に近いかもしれない」と思わされる。
鼠小僧は金持ちの家から盗みを働いて貧しい人に分け与えたというヒーロー要素を帯びている。
本書でも視聴者が世直し系YouTuberをダークヒーローと見なしている面に触れている。「決してやり方は正統ではないが、困っている人が減る、悪い奴が捕まるなら必要悪だ」と見なしているのだろう。
また、本書ではそうしたコンテンツを楽しんで見ている側や支援者も「社会的にうまく行っていない人たちが、自分と同じ境遇だったYouTuberが悪者をやっつけるところを見て、自分たちも世直しの一端を担えている仲間だと思うようになり、熱狂的な信者になっていく」との識者コメントも紹介されている。
ただ、鼠小僧について言えば元は賭博で身を持ち崩して盗みに入るも、実際には貧しい人に施したわけではなく、単に自分のために浪費していただけ、義賊のイメージは事実とは乖離している、という指摘もある。
YouTuberたちの「本心」を推しはかることは難しいが、こうしたコンテンツが配信され、支持者を得ていること、そして政治の世界にも影響を及ぼしつつあるという実態は知っておく必要があるだろう。

ライター・編集者。1980年埼玉県生まれ。月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経てフリー。雑誌、ウェブでインタビュー記事などの取材・執筆のほか、書籍の編集・構成などを手掛ける。