裏切られる「無邪気な願い」
それにしても本書でシミュレートされる各国首脳の「本音」はなかなかどうして残忍なものである。
「エストニアだってロシアに嫌がらせしてたでしょ」
「小国一つのために我々が血を流すのか」
「私たちにタダ乗りするのはやめてほしい」
「小国の一地域にとどまるなら、占領されても仕方がない」
あえて軽い表現に変えているが、実際、国際社会とはこのようなものなのだろうというシニシズムに陥りそうになる。
しかし本書におけるエストニアの立場に、台湾が、あるいは日本が立たされる可能性も考慮しなければならない。その時、私たちはどうすればいいのか。
欧州は、2025年2月のゼレンスキー・プーチン会談を見て震え上がり、防衛費増、安全保障体制の強化に一斉に走り出している。
本書の「あとがき」で、マサラ氏がこう述べている。
ロシアを決定的な敗北へと導く決然とした努力がなされなかったのは、プーチンがいずれこの戦争が「割に合わない」ことを悟るのではないかという、交渉関係者の多くが抱いていた無邪気な願いにも起因する。
一部の人々は、プーチンには交渉のテーブルについて和平を結ぶ用意があり、西側諸国から適切な提案が届くのを待っているだけだ、と信じ切っているようでさえあった。その後徐々に、妥協の産物のような和平合意にプーチンがまったく関心を持っていないことへの理解が広まっていったが、時すでに遅しであった。
だがウクライナの人々からすれば「時すでに遅し」と天を仰いでいる場合ではない。トランプ関税や中東情勢、国内でも国政選挙や物価高など話題が山積みの中で、ウクライナ情勢が伝えられる頻度は低下してきている。
物価高の一要因でもあるウクライナ戦争にもう一度目を向け、その影響がどこまで及ぶかを考えるのに、本書は大いに役立つ。
戦後80年目の夏に考えるべき「戦争」は、先の大戦のみではないのだ。

ライター・編集者。1980年埼玉県生まれ。月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経てフリー。雑誌、ウェブでインタビュー記事などの取材・執筆のほか、書籍の編集・構成などを手掛ける。