【読書亡羊】戦後80年、「戦争観」の更新が必要だ  平野高志『キーウで見たロシア・ウクライナ戦争』(星海社新書)、仕事文脈編集部編『若者の戦争と政治』(タバブックス)

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その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


「相手が始める戦争」の存在

タモリ氏が「新しい戦前」というフレーズを発したのは2022年末のこと。それから2年が過ぎ、2025年は戦後80年の節目に当たる。そのためか、このフレーズは息長く使われ続けており、日本テレビは「いまを、戦前にさせない」プロジェクトを発足させてもいる。

遅くとも2000年代初頭から、中国や北朝鮮の脅威について指摘してきた保守派からすれば「いまさら何を言っているの」と言ったところだ。有事について考える契機になるのであれば悪くはない。

しかしここには決定的な問題、認識の相違がある。戦前化させつつある主体に対する認識が、保守派とリベラル派によって全く異なっているからだ。

リベラル派が「戦前」を考える時、戦争を始める主体は政府、しかも日本政府やアメリカ政府という認識である。つまりは「自らの側から始める戦争」。80年前の記憶、戦後史の歩みからそうなるのだろうが、「相手が始める戦争もある」ことに対する理解がどうにも薄弱である。

もちろん、自らが始める戦争に対する感度も高めたほうがいいわけだが、それだけでは足りない。タモリ氏が「新しい戦前」を口にしたとき、すでにロシアはウクライナに侵攻していたのではなかったか。

戦時と日常が同居するウクライナ

ウクライナが戦時下に突入して、まもなく丸三年となる。これまでの中東などでの戦争・紛争と比べれば、日本社会に関心が残り続けている。発信に努めておられる方々の努力に頭が下がる思いだ。

今まさに継続中の戦争を、起こされてしまった側のウクライナの人々はどのように感じているのか。どんな日々を送っているのか。そうした疑問に迫り、戦時下の生活に対する理解を深めてくれるのが平野高志『キーウで見たロシア・ウクライナ戦争――戦争のある日常を生きる』(星海社新書)だ。

著者の平野氏は、ウクライナ在住歴16年。ウクライナ国営通信社で日本語版の編集を担当。本書は、日本にいる編集者の質問に答える形で、戦時下のウクライナの様子をつぶさに記録している。

と言っても、開戦当初報じられたロシア兵による虐殺や、地下鉄のシェルターで夜を過ごす人々の姿ではない。副題の通り、戦争はあってもその一方で、ある種の「日常」も続いている実態が克明に伝わってくるのだ。

ロシアはウクライナに全面的に侵攻したが、とはいえ日本の1.6倍もの面積を持つウクライナの全土、そこかしこで戦火が上がっているわけではない。開戦当初こそ物資不足に陥ったが、物流は回復し、禁止されていたイベントも現在は開催されている。部分的に「普通の暮らし」が戻ってきているのだ。

「普通の暮らし」とカッコ書きにしたのは、もちろん見かけ上そうであるというだけで、実際には戦時下である。空襲警報が鳴り、計画停電があり、親しい人の訃報が届く。人々や社会生活の強靭性があるから、戦時に対応した暮らしに移行しているだけで、侵攻前とはやはり何もかもが違っているのである。

侵攻開始当初は、ウクライナの「日常」に近い動画がSNSに上がると「これが戦争をしている国だと思うか。戦争なんて実際には怒っていないことの証左だ」などとする陰謀論に利用されていた。だが、戦火と日常が同居している状況こそが現実なのである。

ウクライナでは既に2022年の夏ごろからは〈「目前の危険」が過ぎ去った分、人々の間には「中長期的な将来への不安」……が大きくなっていました〉と平野氏は綴っているが、身の危険、生命の安否と言った究極の状況は当面脱したとしても、多くの人が戦争によって人生設計の変更を余儀なくされたことは間違いない。日本へ避難してきているウクライナ人やその家族もいる。

キーウで見たロシア・ウクライナ戦争 戦争のある日常を生きる

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