そもそも米国の分断の原因は、【リベラル liberal】派が【保守 conservative】派を含むすべての人に対して、リベラルの価値観を【道徳 morality】として押し付けたことによる保守派の反発にあります。【保守主義 conservatism】が公共哲学としての道徳を中心理念とするのに対し、【リベラリズム liberalism】は、理論上、道徳から解放されています。
しかしながら、リベラルの理論を実際に理解していないリベラル派は、リベラルの価値観を道徳と勘違いしたのです。そして『サンデーモーニング』もその勘違いリベラルの一員といえます。
弱者を政治的統制に悪用する似非リベラリズム
一般に、保守主義およびリベラリズムのイデオロギーは次の図によって説明できます。
保守主義は、精神的・身体的社会権と経済的自由権を重要視するイデオロギーであり、リベラリズムは、精神的・身体的自由権と経済的社会権を重要視するイデオロギーです。保守主義が行う政治的統制にあたっての中心原理が【伝統 tradition】です。保守主義は、けっして革命を求めることなく、経験的に確立された伝統を現在の状況にアジャストして行くのです。
米国の共和党は、保守主義の代議制である【共和制 republic】を主張する政党です。伝統は【共同体 community】がもつ「道徳」であり、これを重要視するのが【共同体主義 communitarianism】です。
一方、政治的統制から解放された個人の自由を重要視するのがリベラリズムであり、道徳という社会的制限を中心原理とする【道徳主義 moralism】や【父権主義 paternalism】とは対極にあります。
そのリベラリズムを標榜する米国の民主党がリベラリズムを道徳として押し付けている状況は、明確な論理破綻です。
この論理破綻と同じことをやっているのが、自分と考えの違う相手の人格を激しく叱責して悪魔化する立憲民主党の一部政治家や良識派知識人を自称する似非リベラルの人たちです。残念ながら、これには『サンデーモーニング』も含まれます(笑)。
この似非リベラリズムは、弱者を政治的統制に悪用します。
例えば、立憲民主党のゼロコロナ政策は弱者を根拠に市民の移動の自由を制限しようとしたものです。もともとの経済的統制に政治的統制が加わったこの似非リベラリズムは、理論的には【全体主義 totalitarianism】といえます。
ちなみに、現在の政治イデオロギーにおける深刻な問題が、自分の考えとは違う考えをもつ人々を敵認定して攻撃する「限界系」の存在です。彼らは常識的なイデオロギーの範囲(下図の上辺)を超えた存在であり、絶対的なリーダーの考えに盲従するため、右派・左派というカテゴリーはもはや無意味です。
彼らの目的は、合理的政策の実現ではなく、承認欲求を満足することにあるのです。根拠を欠いた強い言葉で革命を語る専制リーダーやカルトの教祖、およびそのエコーチェンバーは、限界系の典型です。