FOIPと何が違うのか
「しかし、反中包囲網の形成や、自由という価値を元に中国を抑え込もうとするFOIP(「自由で開かれたインド太平洋」構想)と、そんなに違わないんじゃないの」という声もあるかもしれない。だがコルビー氏の戦略が面白いのは、中国の崩壊や衰退を企図したり、価値観によって結びつく連携を組もうとはしていない点にある。
拒否戦略を取る国々が集まって実現しようと試みるのは、中国の覇権国化、つまり中国の言うことを聞かない国は生き残れない状況を退けるという一点のみ。組む相手に民主化や人権、自由といった価値観は問わないのである。
コルビー氏は、これによってより多くの国々が連合に参加でき、アメリカの軍事力を自らの国の生存に生かすことができる、としている。
そして、中国の「平和的台頭」を邪魔するものではなく、「偉大な国になるという夢をかなえたければ、どうぞかなえてください。ただし、他国の迷惑にならない範囲で」とするところも実に現実的と言えるだろう。
いわば、中国に対して「腕力も存在感もあっていい。家庭内での暴力は是非を問わない。ただし、他者に暴力を振るわないジャイアンである」ことを連携によって実現するものと言えるのだ。
日本への要求は不当なのか
リアリストであるコルビー氏は、本書で「日本は防衛費2%への引き上げ程度では、中国に対抗するには到底足りない」と述べている。またコルビー氏の国防次官起用を伝える報道でも、「日本に防衛費増、3%までの増額を要求」が見出しとなったため、日本国内からの反発を呼んでいる。
反発の多くは「日本の防衛予算について、部外者に口を出されたくない」というナショナリズムから来るものらしく、右派の筆者としては「いいぞもっとやれ」の面もある。
だが一方、「ではコルビー氏に反発する人々が、果たしてどの程度、日本の防衛に対して真剣に考えているか」を考えると大変、心もとないのである。
言うまでもなく、反発の中には「防衛、軍事だけを考えるのではなく外交で戦争を防ぐべきだ」という考えも含まれるだろう。そもそも中国の脅威を認識していないものや、防衛費を増額しても、中国の防衛費増はそのはるか何倍にも膨れ上がっており、軍拡競争は無駄だという意見もある。
もちろんコルビー氏もそうした手段を排除してはいないだろう。本書でも「軍事技術にしても、竹やりでもなんでも使えるものは使うべし」としているぐらいだから、当然、外交や経済を戦争防止の手段に使うことは言うまでもない大前提として織り込み済みではあるに違いない。
戦争を防ぐためのあらゆる手段の中には、外交力も入れば、当然、軍事力も入る、というだけのことなのだ。