人を好き嫌いで差別する
一方、ジャニー喜多川氏の性加害問題に対して、安田氏は次のようにコメントしています。
安田菜津紀氏:これって、大前提として、子どもや未成年に対する未曽有の性加害のわけだ。日本社会では、ただでさえ、性暴力の深刻さが軽視されたり、単なるスキャンダルとして消費されてきた現状があった。こと子供の性加害に対しては「いたずら」という言葉にすり替えられてしまって軽んじられてきた。それが被害を訴える側に対して脅迫だったり、誹謗中傷だったり、何重もの二次加害を生み出してしまう土壌にもなってきた。
安田奈津紀氏
安田氏は、ブログで失言した杉田議員に対しては、その問題行動の要因を本人の人格に求めて、殺人者のように断罪したのに対し、「魂の殺人」とも呼ばれる児童への性加害という重大な人権蹂躙を数十年にわたって繰り返したジャニー喜多川氏に対しては、その問題行動の要因を本人の人格ではなく日本社会の土壌に求めました。
安田氏の主張を素直に聞けば、ジャニー喜多川氏の性加害の責任は日本社会の構成員である日本国民にあると言っているようなものです。これは、日本国民に対して、罪を理不尽に着せることで、性加害を許容したジャニーズ事務所と性加害を隠蔽したテレビの責任を矮小化するものに他なりません。
勿論、この主張は極めて不公平です。なぜなら、同じ論法を用いれば、杉田議員の失言の要因も、日本社会の土壌に求めることが可能であるからです。このように個人の価値観を振りかざして異なる基準でフリーハンドに人間を裁くことを「差別」と言います。
一般的に人を好き嫌いで差別する人は、①悪意を持つ人物に対してはその人物がもつ内的要因(例えば「人格」など)を問題行動の要因と認定する【陰性効果 negativity effect】、および、②好意をもつ人物に対してはその人物とは無関係な外的要因(例えば「社会の土壌」など)を問題行動の要因と認定する【陽性効果 positivity effect】という2つの認知バイアスを持ちあわせています。
平たく言えば、貶めたい人の問題行動の原因はその人自身にあり、貶めたくない人の問題行動の原因は社会にあるとするものです。