沖縄県以外の軍人の死者数は6万5千人超
令和4年5月15日、沖縄の祖国復帰50年を迎えた。苛烈な沖縄戦の後、米国の占領が続き、沖縄が返還されたのは戦後27年が経った昭和47年だった。沖縄戦では米軍の無差別攻撃によって、軍民約19万人が亡くなった。米軍は、「鉄の暴風」と呼ばれた空襲や艦砲射撃を3か月にわたって行い、その後の上陸戦はより悲惨なものとなった。
県民は9万4千人が死亡したとされ、軍においては、沖縄県出身軍人軍属の死者が2万8228人、他都道府県出身兵の死者が6万5908人であった。
沖縄戦について、「沖縄は本土の捨て石にされた」という論がある。多数の県民が亡くなる悲惨な戦いであり、このような犠牲を出す戦いは二度とすべきではないが、国を挙げて沖縄を守ろうとしたことは、沖縄県以外の軍人の死者数が6万5千人を超えることからも明らかであり、「捨て石」論は正確ではない。
糸満市の平和祈念公園には、沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、沖縄戦で亡くなった方々の氏名を刻んだ「平和の礎」などがあり、修学旅行をはじめ多くの人が訪れるが、「平和の礎」の奥にある摩文仁の丘をはじめとする所には、沖縄戦で亡くなった46都道府県の方々の慰霊碑が、各都道府県別に建立されている。
平和祈念資料館や平和の礎を訪れる人の数と比べると訪問者は格段に減るが、各都道府県から沖縄を守るために戦い亡くなった方々を慰霊するためにもぜひ訪問をしていただきたいと思う。
さらにその奥には、学徒出陣で戦い亡くなった沖縄師範学校生徒を慰霊する「沖縄師範健児之塔」があり、海側に下ると、師範学校の生徒たちが「鉄の暴風」の中、壕から決死で水を汲みに行った井戸がある。
多くの生徒がここで米軍の攻撃により絶命した。長い石段を下っていった所にあるが、上皇上皇后両陛下は昭和50年に皇太子同妃両殿下として沖縄県行啓の際、ここまで足を運ばれ慰霊をなさっている。皆様もぜひこちらも訪問して頂きたいと思う。
沖縄県を「相続税無税特区」に!
この悲惨な沖縄戦については、沖縄根拠地隊司令官であった大田實海軍中将が海軍次官に宛てた最期の電文で、沖縄県民の苦境と、その中でいかに身を捧げ戦ったかを述べた上で、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電している。
私は政治家として、この電文をしっかりと胸に刻み、沖縄の発展に尽くしていかなくてはならないと考えている。沖縄の現状を見ると、私は、「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」にしっかり応えられていないのではないかという疑問を持つ。
沖縄の根本的振興が果たしてなっているのか。
1人当たりの県民所得は、全都道府県中最下位であり、沖縄県の予算は、県税収入1400億円に対し、国からの地方交付税が2200億円、沖縄振興予算などの国庫支出金は2400億円となっている。沖縄県は独自財源に乏しく、予算は国への依存を続けている。
沖縄県の自助努力も必要であるが、私は思い切った振興政策を行わなければ、こうした状況は改善できないと考えている。そこで提唱しているのが、沖縄県を「相続税無税特区」にすることである。
現在、日本の富裕層は、相続税対策でシンガポールに移住する人が多くいるが、沖縄県を相続税無税特区にすれば、こうした人たちを国内に留め置くことが可能となる。
富裕層の移住により不動産の購入がなされれば、沖縄県において固定資産税の収入が増えるし、富裕層の消費によって消費税の地方分も入ってくることになる。この特区制度は国家戦略特区制度等の活用が考えられるが、制度として政府全体の取り組みが求められるので大事業となるであろうし、これまでに行ったことのない新制度となるので、導入には様々な困難や抵抗も予想される。
しかし、こうした思い切った制度を導入しなければ沖縄の根本的振興にはなり得ず、現在の状態が将来も続く可能性が高い。私は政治家人生の中でしっかりとこの「沖縄県相続税無税特区」を実現していきたい。財務大臣や総理大臣にならなければ難しいのかもしれないが、であるならば、それを目指して実現する。